第220回 京都の城跡「勝龍寺城跡」

このごろ京都の城跡に興味を持ってます。

 

桂から近い城跡では長岡京市の勝龍寺城跡です。

 

 

応仁の乱の頃には砦として使われてたけど、信長が細川藤孝に京都の防御拠点とするために

勝龍寺城の普請を命じます。

このお城が有名なんは何とゆうても藤孝の長男忠興と明智光秀の娘玉が結婚して、この勝龍寺城で

新婚時代を過ごさはったことです。

 

幸せやったんもつかの間で、光秀が主君の信長を本能寺で討ち取ったけど、秀吉との山崎の戦では

この勝龍寺城の近くに陣を構え、秀吉に敗れてしまわはった。

 

 

細川家は玉を味土野(丹後市弥栄町)に隠棲させはる。
ここも小さい城跡が残ってるらしい。

 

   身をかくす 里は吉野の奥ながら
   花なき峰に呼子鳥啼く   玉

 

二年後徳川家康のとりなして復縁しはるけど、再び家康と石田三成との政争に巻き込まれ、

三成の人質の要求を拒絶して家臣に介錯させて死なはるのんです。

 

   散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
   花も花なれ人も人なれ   玉

 

キリシタンやった玉の洗礼名はガラシャ。玉さんより細川ガラシャの方が有名です。

長岡京市では11月の第2日曜に、市民まつりのガラシャ祭が催されます。
私みたいな歴史ファンには嬉しい事でした。

 

 

ダンナさんの忠興さんは利休の七哲のひとりです。
玉さんと一緒にお茶を楽しまはったんにちがいおへん。

 

この時代のお菓子には「ふのやき」がようでてくる。
利休さんがお好きやったんやて。

小麦粉を水で練り鍋に薄うのばして焼いた片面に味噌をぬって巻いた焼菓子でクレープみたいな

もんやったんやろか?

 

又人気やったんは大仏餅で、この時代のエライ人の日記に『2月28日 細野忠興が大仏餅50個に

紅梅一枝を添えて届けさせた』と書いてある。

餡を包んだ餅の白さが売りやったそうな。

 

大仏餅屋は何軒もあったらしいけど、兵右衛門の大仏餅は太平洋戦争中の昭和17年に惜しまれ

ながら廃業しやはったとゆうことです。

 

お城も商売も残して次の代に続けていくゆうのんは大変なことやなあとお城跡を歩きながら

しみじみと思いました。

 


城跡の木々も芽吹いてきて春もそこまで来ています。
おまちかねのよもぎだんごも始まります。

よもぎにあるたんとのビタミンを食べて元気に頑張りまひょ。

 

ほなこの月も、めでたし、めでたし。

 


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