第139回 今様

新熊野(いまくまの) 道の入口 木下闇 森松清
5月5日は新熊野神社のお祭です。
子供神輿が出て、子供の鼓笛隊・稚児行列と子供中心のお祭は珍しい。


新熊野神社の入口に古さにおいても大きさにおいても市内屈指の名木のクスノキは、東大路通まではみだし
高さ22m、幹周り6.6mもあります。後白河法皇のお手植えやそうな。
後白河さんは熊野信仰に夢中で、京都から熊野まで34回もおまいりしやはった。
その上、ご自分の御所である法住寺殿に鎮守寺の三十三間堂を、鎮守社として紀州熊野権現を
勧請して新熊野神社を建てはった。造営に当たったんが平清盛です。
源頼朝はんは後白河さんのことを「日本国第一の大天狗」と言わはったそうや。
たえず権謀術策の中に生きた王者とのイメージに伝えられてるけど、それは武士の側からの見方で
清盛・義仲と対立し、頼朝の鎌倉幕府とも軋轢を抱えてひとときも心やすまることのない一生やったに
ちがいおへん。
後白河さんが「こっちはこっちで言い分ありまっせ」とゆうたはる。
この世の中、何かのお力にすがって生き抜きたいと熊野さんを信仰しやはったんや。
後白河さんは今様が好きなきさくな人やったんとちゃうやろか。
今様の名手の乙前(おとまえ)とゆう72歳の遊女に今様を習わはったそうな。
いろんな今様を集めたんが『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』で、建物の梁の上にあるチリは普段は見えへん
けんど秘かに集められたとゆう意味らしい。
ひとときでも今様に興じ心を晴らしたかったんやろな。
君が愛せし 綾蘭笠
落ちにけり 落ちにけり
加茂川に 川中に
それを求むと尋ねとせしほどに
明けにけり 明けにけり
さらさらさやけの秋の夜は
綾蘭笠は蘭を編んで作った笠で流鏑馬(やぶさめ)用です。
若々しい武者の姿が浮かんできます。
今様とゆうのんは、今めかしさで目新しく派手な魅力を持つさかい、今様と名付けられました。
和歌の伝統を裏切る面白さに満ちた平安末期の流行歌謡で、かろやかなゆるい歌が多いのです。
遊びをせんとや 生まれけん
たはぶれせんとや 生まれけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さへこそゆるかるれ
これは大河ドラマ清盛のテーマ曲の今様で、今様の中でも一番なじみの深いもんです。
今様をひろめたんは傀儡子(人形をあやつる芸人)、琵琶法師、遊女、白拍子やったんやろ。
私が好きなんは、
我を頼めて来ぬ男 角三つ生ひたる鬼になれ
さて人にうとまれよ
霜雪あられふる 水田の鳥となれ
さて足冷たかれ 池の浮草となりねかし
と揺り かう揺り ゆられ歩け
あんなに私が好きやとゆうてたくせに通って来んようになった男は、角の三つ生えた鬼になって
皆に嫌われてしまえ。霜や雪やあられの降る冷たい水田の鳥となって、その中で足が冷えて
しまえ!それと池の池草となってあっちゆれこっちゆれしてたらええのやわ!
毒づきながらも愛しさがにじんできてるのが伝わります。
後白河さんが歌わはったらどうやろ。頼めて来ぬ男は清盛であり頼朝と考えるともっとおもしろい。
話は変わって、大河ドラマの清盛の中で忠盛が唐菓子の『歓喜団』を食べてはる場面があった。
平安時代の上等なお菓子は遣唐使が唐から持ちかえったという唐菓子で、小麦粉や米の粉を
生地としていろんな形に作って油で揚げたもんやった。
源氏物語にでてくるのは椿餅で『椿の葉を合せてもちひの粉に甘葛をかけて包みたる物』と
かかれている。甘葛ゆうのは葛の樹液を煮詰めた古代の甘味料で、枕草子には『削氷に
あまづら入れてあたらしき金椀(かなまり)に入れたる』と書かれてて、かき氷にもかけてはった。
これらは貴族の口にしかはいらへん高価なもんでした。
今でも果物を「水菓子」というように平安時代菓子とは果物や木の実をさしました。
今はけっこうですなあ。砂糖の普及によってお菓子が充実してます。
中村軒では4月末よりかき氷をはじめて、特に5月はいちご氷がとびっきりおいしいて人気がある。
とれたてのイチゴをミキサーにかけはちみつ入りの自家製蜜と合せて、氷にかけてます。
ほんまもんのいちご氷です。
「後白河さんも清盛はんも、栄耀栄華を極めはったけんどこんなおいしい氷も食べんと、柏餅もたべんと、なあ」
とオバアちゃんに言うと
「ほんまになあ、お気の毒になあ」
めずらしく相槌を打ってもろた。
このおいしいいちご氷、柏餅、ぜひ食べに来とうくりやす。
ほなこの月も、めでたしめでたし。
- 2012.05.01 Tuesday
- 東山区(祇園・五条・清水周辺)
- 09:30
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- by nakamuraken



