第226回 開田城跡

お城とゆうたらお大名がいて、その下に家来がいやはるというイメージやけど、長岡天神の近くの

開田城は、戦国時代西岡衆として活躍しやはった国衆の中小路さんが建てはったお城です。

 

国衆というのはわかりにくいけど、前の大河ドラマであった真田昌幸が国衆で、こんなセリフも

ありました。「信濃は我ら国衆で治める。大名はいらん」

 

真田はんみたいな国衆を一言で言うと、戦国時代の地侍で、地元の殿さんのこと。

村長さんともちょっとイメージ違うのんですが、大名より数が多かったんにちがいおへん。

 

開田城を建てはった中小路さんも国衆の殿さんで、

「大名はいらん、国衆によって西岡を自治しまひょ」としやはった。

 

 

中小路さんを中心に乙訓西岡地域の土豪や地侍は自活運営を目指して国一揆をむすんだことで有名です。
このお城は村の人達のお城やったんや。

 

昭和53年〜56年と平成8年に発掘調査があって、石組みの井戸・かまど・たくさんの素焼のお皿が

出土しました。調査が終わった後、マンションが建ったけど、このマンションのロビーに開田城
模型が置かれています。

 

 

この西山あたりは桂からも近いさかいお得意さんがたくさんあります。
こんなエネルギッシュな人達のご子孫やと思うとなんやら嬉しい。

しみじみと昔をしのびました。

 

   国衆の城の石垣 蝉しぐれ    マサコ

 

お城跡をあとにして、このお城を建てはった城主中小路さんのご子孫のお宅へ伺います。
西国街道に沿ったところにあって、国の登録有形文化財に指定された家で、長屋門など

風格のあるお家です。

 

 

いろんなイベントやお稽古にお屋敷を貸してはって、やっぱり殿さんや、人のためになることしてはる。

 

喫茶もあって、私はお昼ご飯にとびっきりのオムライスをいただく。コーヒーもおいしい。

世が世なれば殿さんやのに、殿みずから運んでくれはるなんて、アリガタイアリガタイ。

 

殿は竹久夢二がお好きとかで喫茶室には夢二がいっぱい飾られて、これもみどころの一つでっせ。

 

 

中小路家を出て西国街道を行くと五辻に出て、ここに石塔寺というお寺があります。

昔このあたりは島坂とゆうたらしい。

 

 16日(とおかあまりむいか)
 今日の夜さつかた 京へ上るついでにみれば
 山崎の小櫃の絵も 曲(まがり)の大鈎(おおぢ)の像もかはらざりけり
 かくて京へいくぬ
 島坂にて人あるじしたり

 

934年4年間の土佐国司の任を終え、京へ帰り着くまでを綴った土佐日記の一節です。
紀貫之はこの西国街道を通って京へ入ったに違いありまへん。

 

 

まがりのおおぢのかた(像)とあるのんは、「まがり」と書いてある看板と解釈されることが

多いのですが、ちがう説もあります。

 

当時もてはやされてた唐菓子のひとつ「まがり」が売られてたんとちゃうか、

とエライ先生はゆうたはる。まがりは藤葛(ふじかづら)のような形、と昔の本に出てて、

生地をつるのように曲げて作ったんちゃうかしらん。

 

貫之もまがりの看板を見て京がいよいよ近づいたと思わはったんやろ。


どういうわけか時代が下ると唐菓子は作られんようになてしもた。

 

この時代のおやつとして、はっきり文書に残ってるのんは「ところてん」です。
どうやって食べたんかは記録がないけど、江戸時代になると関東では酢醤油、
関西では黒蜜で食べるのが定着しました。

 

私が子供の頃、ところてんは一本箸で食べてたけどなんでやったんやろ。

 

お城から話がえらいそれてしもたけど、中村軒のところてんもとびきり美味しい!

お城からちょっと桂まで足をのばして、ぜひおこしやしとくりやす。


皆々お待ちしております。

 

ほなこの月もめでたし、めでたし。


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