第219回 亥の年

十二支を決める話は毎年オバアちゃんから聞かされてた。

 

「神さんが挨拶に来た動物12番めまでを一年ごとの大将とする」とゆわはったんや。
それを聞いた牛は「私は歩くのんが遅いさかい前の日から出発しよ」と歩きだしたんやて。


ネズミは牛の背中にちょこんと乗ってゴール直前に飛び下り1番になったんえ。」

デモ神さんやったらこんなごまかしお見通しとちゃうのん?

 

「まあまあよろしいがな。お正月から角(かど)たてんでも。
 お正月には人さんに丸う丸うゆうてお餅は丸餅に搗くのんや。
 そやけど、ずるいネズミにはちゃんとバチがあたるようになってまっせ。
 猫がネズミに、神さんとこへ行く日を聞いたらネズミは違う日を教えたんや。
 それで猫は十二支に入れへんかった。猫はそれを恨んで今でもネズミを追いかけるやろ。」

 

 

イノシシはなんで12番めなんやろ。猪突猛進ゆうて速いのとちゃうのん。

 

「まっしぐらに走るイノシシはいち早う神さんのとこへ行ったけんど、
 神さんのところで止まらんと行き過ぎてしもたんやわ。
 引っ返したときには11匹の動物が到着した後で12番めになったとさ」

 

そそっかしいのんや。私のこと言われたみたい。

 

京都にはイノシシを祀る神社お寺があちこちにあります。
有名なんは愛宕神社、護王神社、南禅寺の聴松院、本法寺、建仁寺禅居庵摩利支天堂などです。

 

 

禅居庵は日本三大摩利支尊天のひとつで、700年近く秘仏とされています。

摩利支天はイノシシの車に乗って現れるとされてて、境内にはいろんなイノシシがあります。
イノシシ像の足におみくじを結んで家出人の足止めをするおまじないやと聞きました。

 

 

天文の兵火でお堂が焼かれたとき、天文16年に織田信長のお父さんの信秀が建立しやはったんやて。

 

この禅居庵から建仁寺へ続く道はゆずりあいの小道と言われてます。
道幅が狭いさかい譲り合うて下さいとゆうことやろなあ。

 

ここを抜けると建仁寺のひろびろとした境内に出ます。

臨済宗の栄西が開かはった京都最古の禅寺です。

 

栄西は宋へ渡って禅を伝えはったんと共にお茶の種を持ち帰って日本で栽培することを勧めはったさかい

茶祖として知られています。

境内にはお茶の木がいたるとことに植えられて可愛い花が咲いています。

 

 

お寺で何より有名なんは国宝の俵屋宗達の真作の風神雷神図屏風があることです。
飾られているのはデジタル複製されたものとはいえ感動しました。

 

 

そしてもう一つ素晴らしいのんは風神雷神の書、金澤翔子さんの作品です。
絵とちゃうのに風の神、雷の神がいきいきと動いているように感じます。

 

この建仁寺は天文年間に火災におうた後、安国寺恵瓊が再興に務めはった。
関ヶ原の合戦で三成方に組みし敗れたその墓が方丈の北庭にあります。

 

栄西には昔オバアちゃんに聞いたおもしろい話があります。

 

鴨川七条に由緒ある鏡が川に沈んでたんで引き上げて建仁寺の鐘楼に架けようとするのやけど、

鐘はかんたんに動かへんかった。

栄西に頼まれた力持ちの男達はエイサイ(栄西)、エイサイ(栄西)と音頭をとって引き上げはったんやて。

それ以来重いもんを力を合わせて引くときエイサイエイサイと声を合わせることとなりました。

 

京都にはお寺も神社もたんとある。

この一年おいしいお饅頭、お餅が作れますよう神さん仏さんのご加護をいただけます様お祈りしました。

 

今年も中村軒をよろしくお願い申し上げます。

 

めでたし、めでたし。


第211回 俊成の屋敷跡

京都の小路を歩いてると「いや、こんなとこに」と思うことがたびたびある。

 

新玉津島神社は松原通烏丸西入にある。

 


藤原俊成が自宅の邸内に紀州和歌の浦から、和歌が上手やった衣通姫を勧請し、併せて

稚日女命(わかひるめのみこと)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)をお祀りしやはった。

 

ここは昔から和歌の守護神とあがめられ、朝廷も歌道伝授の折にはここに勅使を遣わされるならわしやったんやて。

 

平家一門が都落するとき、薩摩守忠度(さつまのかみただのり)はこの俊成の邸の門を叩かはる。

 

唱歌『青葉の笛』に出てくる場面です。

 

 更くる夜半に門(かど)を敲き
 わが師に託せし言(こと)の葉あわれ
 今わの際(きわ)まで持ちし箙(えびら)に
 残れるは花や今宵の歌

 

忠度は戦地に向かうとき自分の歌集を俊成に託さはる。

 

勅撰集が選ばれると聞き

「生涯の面目に一首の御恩をかうむり候はばや」
 生きたしるしにせめて勅撰集の中に一首でもとどめたいとお願いしやはった。

のち平家は滅び忠度も戦死しやはる。

 

 

私が高校生の時、大河ドラマ『新・平家物語」があった。その時忠度の役は中尾彬さんやった。

憂いを含んだ若い平家の公達忠度に私はうっとりする。

今や昔のこと。
このとろこの薩摩の守はんも私も太り過ぎどすわ。

 

話をもとに戻すと、俊成は千載和歌集に朝敵となった忠度の名を憚(はばか)り故郷の花という題の

歌を詠み人知らずとしてのせはった。

 

 さざなみや志賀の都は荒れにしを
 昔ながらの山桜かな
          千載集六十六

 

唱歌に出てくる箙に結びつけられた文には

 行(ゆき)くれて木(こ)の下かげをやどとせば 花やこよひのあるじならまし

 

風雅やなあと感心してると、おつれの美代ちゃんが
「薩摩の守ゆうたら無銭乗車のことえ。だって名前がただのりやもん。狂言であるやないの

 『平家の公達薩摩守忠度』とゆうて舟賃を踏み倒そうとするお坊さんが出てくるわ」

そんなしょうもない話はよろしい!

 

俊成の息子はんの定家さんの時代になったら新勅撰和歌集に薩摩守忠度の名で選んではる。

 

 たのめつつ こぬ夜つもりのうらみても
 まつより外のなぐさめぞなき

 

つもりは津守(地名)、恨みては浦見ても、待つは松の掛詞となってる。
なにさま掛詞で有名なただのりどすわ。

 

又又戻りますけど、新玉津島神社は元禄時代には北村季吟が神官をしてはった。
松尾芭蕉がまだ藤堂家につかえてはったとき、主人のお使いでここへ来てはった。

ついに季吟の弟子になって、そのすすめで俳諧の道に入らはったそうな。

 

街角の小路にも文化がただようてます。
京都はエエトコどすえ。

 

 

この神社の長い名前のお姫さん息長帯比売命は神功皇后のことで、
中村軒では節句のお飾りには神功皇后をおまつりしてます。

それはそれは美人であらしゃいます。

 

ちまきも柏餅もお供えしてお祝いしまひょ。かき氷のイチゴ氷もはじまりました。

ぜひぜひ中村軒におこしやしとくりやす。

 

お菓子


一同お待ち申し上げております。

 

ほなこの月もめでたし、めでたし。


第209回 因幡堂

   押へても ふくるる籠の蓬かな   下田 美花

 

雛祭の頃の蓬が1番やわらこうて香り、栄養も高いと言われています。

 

季節の変り目には邪気がはびこるさかい、蓬の香りで邪気を祓うため
よもぎだんごを作ってお雛さんにお供えし、おさがりをいただきました。

 

 

最近エライ先生がよもぎに含まれているクロロフィルが発がんの原因の
一つである染色体異常を抑えると共に、血をきれいにしてガンを防止する
ことができると証明しやはった。

 

すかさずオバァちゃんが言わはることには
「昔の人はちゃんとその事をわかったはって、季節の変り目によもぎだんごを作ったはったんやなあ。
 あのな、も一つ癌にならへん方法がありますのや。
 それはなあ、因幡薬師さんにおまいりすることどす。

 日本三大如来のひとつで、1000年前におまつりしやはってから

 天皇さんから庶民までたんとの人が信仰してきやはった。」

 

私は癌とちゃうけどこれからも決してならんようにお願いに行くことにしました。

 

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1003年、如来さんがここへお祀りされてから丁度1000年になる2003年に因幡堂で1000年祭があって、

茂山一門の狂言『因幡堂』『鬼瓦』が本堂で上演されました。

 

私は数ある狂言の中でも鬼瓦の狂言が大好きです。

 

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京に赴任した地方の大名と太郎冠者が、日頃信仰する因幡薬師におまいりしました。

大名がふと見上げた屋根の鬼瓦を見て「はて、どこかで見た顔」と思い巡らすと
「そうや、故郷に残した女房そっくり」と懐かしくて泣き出します。

 

太郎冠者が「故郷にもう帰るのですからすぐ逢えますがな」というと
大名は「そうじゃそうじゃ」と二人で大笑いするのです。

あたたかな狂言です。

 

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中世には因幡堂の境内は人々が集まる市のお堂で、清水寺へ続くにぎやかな道でした。

 

天保2年に因幡堂のあたりで古着・木綿商店を創業しやはった人が

現在のデパート高島屋の創業者はんです。

 

因幡薬師の灯籠には寄進者として高島屋の創業者の飯田新七さんの名があります。
又、本堂の入口に高島屋の献灯があげてありました。

深いご信心やったんにちがいありまへん。


創業者はんの努力と誠実さが日本を代表するデパートになったんやなあ。

因幡堂さんはほっと肩をおろせるお寺で気持ちがほぐれていきます。

 

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お寺で「薬師の塗り香」を買わせていただき体に擦り込むと体温でほのかな香りが立ちます。

イライラしたとき、なんか気がおさまるのんです。

 

因幡堂さんにおまいりして、中村軒のよもぎを食べて美味しいお茶を飲んだら

ガンも退散するのとちゃうやろか。

 

お薬師さんのおかげでゆったりした一日をすごさせてもろた。

 

ほなこの月もありがたく めでたし、めでたし。


第204回 京都御苑

京都に住んでて幸せやなあと思うことは、水がええさかい野菜、お豆腐がおいしい。
もちろん井戸水を使うてお菓子作りをしてる中村軒のお饅頭、お餅がおいしい。

 

お寺、神社が多いといろいろあるけど、京都の真ん中の京都御苑に誰でもが自由に
行けることも素晴らしいことやと思てます。

 

京都御苑は江戸時代にはたんとの宮家や公家の邸宅が建ってました。
明治になって都が東京へ移ったとき、公家屋敷は取り除かれて公園として市民に開放されました。

四季を通じて樹木や花がいっぱいで、忙しい毎日からほっと肩をおろせるとこです。

 

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京都御苑には9つの門があります。

 

有名なんは新在家御門で、天明の大火で初めて開門されたさかい「焼けて口開く蛤御門」といわれ、

又長州藩が会津薩摩の兵とこの門あたりで戦うたんで、これを蛤御門の変と言います。

 

もうひとつ興味あるのんは建礼門の東横の道喜門です。
粽で有名な道喜さんは15代続いたお菓子屋はんですが、毎朝お餅を天皇さんへ献上しやはった。

 

 

応仁の乱の頃は天皇さんの食事も充分でなかったそうやさかい、

天皇さんは「お朝(朝ごはんのこと)はまだか」と道喜さんを待たれてたとか。

それからお朝を届けはる門を道喜門と言うようになったんやて。
この習慣は天皇さんが東京へいかはる明治2年まで続けられました。

 

御苑の中で好なんは宗像神社です。
あたりの楠に10月頃までアオバツクが夕方から夜にかけてホウホウという声が聞こえるらしい。

この神さんは九州から来てくれはった。天照大神さんの三人の娘はんがご祭神です。

 

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その中のおひとり田心姫命神(たごりひめのかみ)はんは九州と朝鮮半島の中間にある絶海の孤島の

沖ノ島にお祀りしたある。

ここは海の正倉院といわれて、発掘された神宝の数々が東西文明の交流を物語ってます。


沖ノ島は無人島で宗像神社の神職はんが交代でおつとめしたはる。
島内で見聞したことを漏らしたらあかん「お言わず様」というしきたりもある。
もちろん一木一草も持ち帰ることは許されまへん。

 

女神さんが祀ったあるのに女人禁制の島です。
なんでやろ?あかん言われたら行きたなるのが世の常やけど、女の神さんが嫉妬しやはるとか、

絶海の孤島へ女が行くのは危険とかいろいろ言われてます。

 

話は変わるけど、私が中村軒へ嫁いだ時、○年前のことですけど、赤ちゃんが生まれはると

お祝いをもらいます。そのおかえしはお餅と決まってました。

 

男子誕生の場合一升の餅を3つ、女子誕生の場合一升のお餅を2つおかえしします。

「何で女やったら一升少ないのんですか?」とお父さんに聞いたら

「女は男より働きが一つ少ないさけ」

そんなエエカゲンな話ってあります?


今は女も外で働かなやっていけへん時代で、家事・子育・年寄の世話。皆女やんか。

このお餅の注文がないのんは時代にそぐわへんさかいやと思う。
「これは差別や」女の子生まはったお母さんが怒らはったんかもしれん。

 

最近は満一歳になったときにお祝いする誕生餅のご注文をいただく。

これは男女平等で一升一つどりのお餅で、子供が一生食べ物に苦労せえへんと言われてます。

 

 

1才になった子供に一升餅をおんぶ紐でおんぶさすのですが、ヨチヨチ歩きが可愛らしくて

ビデオにもとったり写真を大きくのばしてオジイチャンオバアちゃんに贈ったりと

それはそれは楽しいことです。

 

ただ1升ものお餅を背負うのを嫌がってなかなかええ写真がとれへんのんで、おかしいような

残念なようなで笑いのうちに終わります。

 

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1才のお祝いは一升餅の他に将来占いをすることもあります。

物を置いて、どこへよちよちとすすんでいくかで占うのです。

 

筆…勉強

そろばん…商売

巻尺…職人

お金…お金持ちになる

 

この頃はサッカーボールなんかを置いて、サッカー選手になるかを占うということもするみたいですが、

赤ちゃんはたいていボールの方へいくようです。

 

お祝いにはお赤飯をつけます。赤い色は魔除となり、子供の一生を守ってくれます。

10月には新米になり、栗も美味しい頃です。お待ちかねの栗赤飯で御祝しまひょ。

栗餅も一緒やったらなお嬉しいです。

 

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栗餅も栗赤飯もますますおいしくなる季節です。
従業員一同お待ちしております。

 

ほなこの月も、めでたしめでたし。


第201回 建て替

   家の作りやうは夏をむねとすべし
   冬はいかなる所にも住まる
   暑き比(ころ)わろき住居(すまい)は堪え難き事なり
                     徒然草55段

 

兼好はんがゆうたはるように、昔の京都の家は夏に過ごしやすいように建てられてます。


6月1日になると家中の建具を夏のものに入れかえます。
「建具替え」を転じて私らは「建て替え」と言うてました。

 

まずは障子をはずして葭(よし)で作った戸をはめる。
夏の強い光を遮るためと、葭の間からゆるやかな風を通すためです。

 

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中村軒では葭ではのうて苅萱(かるかや)で作った戸をはめます。


刈萱はイネ科の多年草でススキに似てます。
その茎を編むのです。

葭よりも細うておちついた色が私は大好きなのやけど、この頃は他でみかけません。


建具屋さんに聞いても「苅萱はもう手に入りまへん」と言わはる。

刈萱の戸を閉めるとやわらかな光が涼しさを誘うのです。

 

畳の上には籐筵(とむしろ)を敷きつめます。
これは藤(とう・ヤシ科のつる性の木)を細く割いて編んだ筵(むしろ)で、
ひやっとした感触であめ色の光沢があります。

 

部屋と部屋を仕切ってあるふすまをはずして簾(すだれ)をかけます。

 

 

   世の中を 美しと見し簾かな   上野奏

 

と句にあるように、開け放った部屋の見通し遮るのに、掛けると何もかも美しくて涼しそうに見える。

 

中村軒ではこの夏、座敷の簾を新調しました。

 

京都東山にある伊吹すだれ店にお願いしてます。

京の名工に選ばれはったお父さんと息子さん二人で丁寧なお仕事をしてはる。

 

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息子さんにいろいろとお話をきかせてもろた。

 

いろんな種類のすだれを作ってはるけど、家の軒に吊るので1番のおすすめは蒲(がま)すだれやそうな。
字のごとく蒲の茎で作ったすだれで、芯まで詰まってる割には軽うて耐久性もある。

 

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このごろ昔のように琵琶湖の上質な葭が手に入りにくいらしい。


琵琶湖の葭群落は美しい風景と共に水鳥や魚の生息の場、又水質保全に役立ってるときいてるのに、

ほんまに残念なことです。

 

昔から伝わってきたもんも、時代とともに作る人がなくなったり、材料が手に入らなくなってきています。

 

お菓子作りでも良質な蜂蜜・黒砂糖がなかなか手に入れるのが難しい時代やけど、

昔からずっと取引してる材料屋さんはありがたいもんで、あちこち手をつくしてくれはるおかげで、

中村軒では国産の材料で作らしてもろてます。

 

伊吹さんも「材料をととのえるのがひと苦労です」と言うたはったけど、
誠実で熱心な息子さんがお仕事を継いだはるのは何よりの心強さです。

 

これからの若い人にほんまもんの京都の良さを知ってほしい。
すだれも安うて使い捨ての時代から良いものを大事に使う時代へと移ってくるに違いおへん。


お饅頭もあっさりしているというのは砂糖が少ないだけと違うて、

小豆の香りが口に溶け込むような美味しさを味わって頂きたいとしみじみと思うのです。

 

京の暑い夏、ほんまもんのすだれとほんまもんの水羊羹。
中村軒でお待ちしております。

 

ほなこの月も、めでたしめでたし。


第196回 バレンタインの日

   楽器提げ バス待つバレンタインの日   中川石野

 

バレンタインデーは世界各地で愛の誓いの日とされてるけど、いつからこんな盛大になったんやろ。
「それはなぁ」と何でも物知りのオバアちゃんが口をはさむ。

 

「ローマ帝国のクラウディウス2世は戦士の士気の低下をおそれて兵士の結婚を禁じたはったんやて。
 キリスト教司祭のヴァレンタインはんは『そんなんあんまりやないのん』とこの禁令に背いて結婚式を
 行わはったために処刑されはったんや。
 それで殉教の日の2月14日が愛の日となったんでっせ」

 

日本で女性が男性に愛の告白としてチョコレートを贈るのが始まったんは1932年に神戸のチョコレート会社の
モロゾフがバレンタインチョコレートを発売しやはったんが最初らしい。


2月14日に贈り物をする欧米の習慣を日本でも広めようとしやはったんやなあ。

2月は外へ出るのも寒いし、商売の売上が悪い月やし企業戦略やったとしたらたいしたもんやと関心する。

 

本命の男性にチョコをという前に、本命の男性に出会うのんが先ちゃうのんか、と私は思うけどどうでっしゃろ。


縁結びの神社は多いけど六角堂は縁結びのお寺で有名です。

 

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嵯峨天皇が「美しい女性を妃にしたい。どうぞ逢わせてほしい」と六角堂に祈らはった。
そしたらお堂の柳の下に美しい女性が立ってはった。
それはそれは心も姿も美しい方で、その女性をお妃にしやはりました。


それ以来六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれると昔からゆわれてきました。

「おみくじは2本の柳の枝を一緒に結ぶのがええのんえ」とオバアちゃんはいわはる。

 

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ここは又、いけ花の発祥の地としても有名です。代々六角堂の住職を務めはる池坊は、仏前に花を供えるうちに
工夫を加えて日本独自のいけ花を大成しやはった。

 

NHK大河ドラマおんな城主直虎で池坊の立花が登場します。
主人公の父親(直虎)が悩んだり考え事があるときなどに、花を立てているシーンがあります。
ちょうどこの頃がいけ花が人々の生活に浸透していった時代です。

 

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身ほとりに花のある暮らしは豊かです。


中村軒では野の花を育て店に飾っています。
お花の好きなお客様も多くて珍しいお花を頂いたり差し上げたりするのも楽しみです。

 

2月は花の少ない時期ですが、梅も椿もふくらんできてます。
もうすぐよもぎも芽をふきはじめるのんで、お待ちかねのよもぎだんごも始めます。

 

バレンタインデーにはチョコレートもけっこうですけど、男性に人気にある麦代餅はいかがですか?

 

   餅(もち)ろん餡(あん)たが1番

 

いい縁が結ばれますようにお祈りして
この月もめでたし、めでたし。

第190回 おかき

お盆にはお精霊さんが帰ってきやはるのんで忙しい。
お盆の三日間は昔から決まったもんを御供するけど、

「先祖はんの好きやったもんをお供えしたらよろしい」とおバアちゃんは言わはる。

 

デモおじいちゃんの好物は「すき焼」やったしな。
そうそうもう一つの好物は「おかき」やった。


「おかき」にはこだわりのあった人で、中村軒のとびっきりの餅米を搗いて棒餅にする。

それを薄う切って干し、干し上がったら丁寧に焼き、そこへお醤油をつけて干すと手焼きの

おかきの出来上がりです。ウチの子供達はおじいちゃんの「おかき」で大きなりました。


中村軒を継いだ5代目がおじいちゃんのおかきを作り始めました。
同じように作ってたけどとても時間があらへん。

 

ふと思いついたんが私が子供の頃から買うたりもらったりしてるおいしいおかき屋さんがある。

そこは二条城の近く創業大正5年の東坂さんというおかき屋さんです。

 

 

東坂さんにうちのお餅で「おかき」に作ってもらえへんやろか。
思い付いたが吉日とさっそくお願いに上がりました。


ご主人が言わはるには

「年をとって来たさかい店をやめよかと思てたら息子が継ぐゆうてくれましたんや」

 

 

ご主人にお話を聞いてると、ご先祖はまんじゅう屋さんやったそうです。
新京極にあった亀村本店がご親類やという話がでた。

それはびっくりです。こんな事もあるもんやわ。


中村軒の創業者の芳松さんはその亀村さんで修行さしてもろて桂で開店しやはったんです!

開店のとき亀村さんからお祝にいただいた大きな幕もあります。
ほんまに先祖さんはありがたいことです。
こうしてずっと縁をつないでくれはったんや。

 

 

話はかわるけど、おかきの素材であるお餅は神仏にお供えするもんで、

霊力があると考えられていました。

 

鏡餅は「切る」というのを忌んで開くといいます。
昔はお鏡さんを手で欠いたそうで、かき餅の名が生まれました。

ちょっと前まで「おかきにしますのんで寒餅を搗いて下さい」とご注文があったけど、

この頃ほんまになくなってしもた。

 

おかきは何ぞのときの非常食・保存食でもあります。
伏見の旧家に江戸末期に作られた「かき餅」が大切に保存されています。
袋には「文政丙戊年正月元旦包封」の文字が土佐紙にかかれているそうな。

 

「おかきは栄養面でも優れている」とエライ先生がゆうたはる。

これは昔から日本人の栄養をささえてきた食物です。
次の代へ又次の代へと作り方も伝えられてきたんやろ。

 

おじいちゃんは「創業は易し、守成は難し」といつもゆうてはったけど、
京都でも歴史のあるお店も継ぐ人がのうてやめていかはるこの頃です。

東坂さんも中村軒も「跡を継ぐ」とゆう息子がお餅、おかき、おまんじゅう等
日本古来の食物を守り次の代に伝えてくれうのにちがいおへん。

 

 

お盆にはこのおいしいおかきをお供えしまひょ。
ご先祖さんもどんなにか喜んでくれはる事やろ。

 

ほなこの月もほんまにめでたし、めでたし。


第184回 湯波

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   湯波半の天窓あかるき二月かな 優江

今年のおかし歳時記は私の好きなお店とかお寺、お花などなど「優江ちゃん好き」シリーズにしよと
元旦に決めました。

私のまず第一に好きなんはもちろん中村軒のお餅・赤飯・お饅頭。
小説家で好きなんは川端康成、田辺聖子、司馬遼太郎、山本兼一。
川端センセの小説の中でも一番好きななんは「古都」です。

京都を舞台にして風物がかかれてる。
その中に湯波半さんが出てきます。
以下『古都』の文章です。

  この湯波半はいわゆるどんどん焼にも残って二百年ほど前の店である。
  少し直したところはあるが、たとえば小さい天窓にがらすをはめて湯波をつくる。
  おんどるまかいの炉はれんがづくりになっている。
 「前は炭火どしたけど、いこす時に物がはいって湯波にぽつぽつつきますやろ。
  そいでおがくずを使うことにしました。」
  四角い銅の仕切りのならんだ釜から少し固まった上皮の湯波を竹ばしで上手に
  すくいあげてその上の細い竹の棒に干す。
  棒はいくつか上下にあって湯波のかわきにしたがって上へ移してゆく。

  千重子は仕事場の奥へ行って古い柱に手をかけた。
  母といっしょに来ると母はその古い大黒柱をよくなでるのである。
  「なんの木どす」と千重子は聞いてみた「ひのきどす。上まで高おすやろ。真直に」
  千重子はその柱の古びをなでてから店を出た。



現在この店に来てもこの文章のとおりの店です。
湯波をつくる水もええ井戸水がでる。

江戸後期滝沢馬琴は見聞録に「京によきもの三ツ 女子、加茂川の水、神社」
のちに京の味にふれ「京にて味よきもの麸、湯波、茶、水菜、うどん」など書いてはる。

なんでおまんじゅうが出てきいひんのや!
甘いもんがきらいやったんかもしれん。

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ほんまのことゆうと、川端センセも好きやけど、湯波のほうがもっと好きですねん。
中村軒のにゅうめんにはこの湯波半さんの生湯波を入れてます。
愛宕山の伏流水といわれる井戸水に昆布とかつをでとったおいしいだしをふくんだにゅうめん。
湯波はかくべつにおいしい!
これこそ京都の味やと思うのんです。



湯波は1200年前最澄が中国から持ちかへったのんが初めとゆわれてます。
延暦寺に伝わって、お坊さんのたんぱく源として重宝されました。
比叡山麓の坂本で「山の坊さん何食うて暮らす ゆばの付け焼き定心坊(お漬物)」と唄われていました。

湯波半さんでは湯波を店に並べて売ったはらへんけど、注文さえしといたら作ってくれはりまっせ。

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二月はまだ寒い日が続きます。
土鍋にだし昆布を入れて煮えてきたら生湯波をしゃぶしゃぶしてポン酢でいただく。
このお鍋に中村軒のおいしいお餅を入れてポン酢か柚子味噌でよばれます。
ああ京都に生まれてよかったと思う毎日です。
どうぞ皆さんもこの京都の味をためしとうくりやす。

湯波半さんの創業は1716年(享保元年)、中村軒は1883年(明治16年)です。
息子同士が仲良うさしてもろて、お互いお客様に喜んでもらえる店にしたいと話し合ってます。
これからは若い人に頑張ってもらわなあかん。
どうぞ皆様よろしくお願いします。

2月のおいしいお話もおしまい。
ほな、めでたしめでたし。
 

第180回 竹内栖鳳



今月の掛軸は竹内栖鳳の秋の軸です。
若い時の作品やとゆわれています。

栖鳳さんは近代日本画の先駆者で動物を描かはったらその匂いまで描くと言われた達人やった。

京都人は栖鳳さんとゆわはる。京都出身やさかいかしらん、前に山形へ行った時古いお店の方に
「謙信が・・・」と言うと「謙信公ですね」と言い直されてしもた。

謙信さんは尊敬され人気もあったんや。栖鳳さんも「京都の誇り」とみんなが思てるさかい
「栖鳳さん」と呼ぶのんにちがいおへん。

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八坂の塔の東隣に栖鳳さんが晩年に過ごさはった邸があります。
アトリエとしてたけではのうて、著名人が集まる文化交流の場として東山艸堂と名付けられました。
現在は「ザ・ソウドウ」という結婚式場とレストランになっています。

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1300坪の広さがあるというお屋敷に向かう坂を登って行くと風情のある玄関に着きます。
お屋敷は改造されて椅子席になってるけど、昔の面影ものこってます。
私は特にお庭が好き。この庭の鳥やお花の写生をしてはったんやろ。

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京都の商家では有名な画家や書道家に店の包装紙のデザインや看板の字をかいてもろたはる店がたんとあります。
烏丸通から東へ入ったとこに老舗表具商春芳堂があり、ここの看板の字は栖鳳さん53才の年の字です。
春芳堂は栖鳳さんお抱えの表具店やったそうな。

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その春芳堂がある姉小路通の商家にはみごとな看板が上がっています。

亀末廣(和菓子) 山本覚山(近代書道先駆者)
八百三(柚子味噌) 北大路魯山人
彩雲堂(絵画材料) 富岡鉄斎
河道屋(蕎麦ぼうろ) 西田天香

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いっぺんに桂へとびますけど、中村軒の看板の書は湯川梧窓(書家)と言われていますが定かではありません。
看板は桂大橋の昔の古材を貰い受け、私のダンナ(四代目)が彫りました。
素人にしてはエエ出来でっしゃろ。うちのダンナのアダ名は「中村工務店」です。大工仕事が趣味。
休みの日ィには店のあちこちの修理にはげんでおります。

又、中村軒の包装紙は版画家の徳力富吉郎先生が作ってくれはった。
徳力先生の先生が土田麦僊(ばくせん)先生で、土田先生の先生は栖鳳さんです。
たどっていくと何やかやご縁がありますなぁ

中村軒の茶店で使ってる湯呑も徳力先生の「かつら」という字です。
昔街道の茶店では店ごとに趣きのある名茶碗があったそうな。
「それを復興したらどないなんやろ」と徳力先生に言われて作ったものです。
浅い筒型の湯呑は飲みやすく洗いやすいのです。

中村軒にはもう一つ栖鳳さんゆかりの宝物があります。
それは栖鳳さんの蓮の絵をふくさに仕立てたものです。
ふくさを入れてるお箱の字は清水寺の森管主の字です。
絵もよし染もよし字もよし



京都はええとこどすなあ。秋はことさら趣があります。
そしてお餅、おまんじゅうが美味しい。

今年は栗が豊作とか。
栗餅の餅は何にもまぜもんのない搗きたてのお餅です。
しっかり搗いたお餅にくぬぎのまきで炊いたこしあんを包み、手むきの栗がはいってて
宝物のような美味しさで「これはわざわざ遠いとこからでも買いにこなあかん美味しさや」と
お客さんがゆうてくれはる。

中村軒の栗餅

徳力先生は中村軒のおまんじゅうが大好きで、あれこれと使うてくれはった。
栖鳳先生にも食べて欲しかったなぁ。
「餅(もち)ろん餡(あん)たとこのまんじゅうはおいしい!」と賞めてくれはるはるにちがいおへん。

秋の夜長、京の芸術家に思いを馳せました。

ほなこの月も、めでたしめでたし。

第177回 扇

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   京格子 拭かれて鉾の立つ日なり    宇澤慶子

7月は祇園祭やさかい床の間には長刀鉾の音頭取の扇を飾ります。

音頭取の扇は鉾によって意匠が変わってて、それぞれ洒脱なデザインやけど、長刀鉾のが私は大好き。
長刀鉾は巡行の先頭と決まってて、順番を決めるくじを取らへんことから、くじ取らず、と言われてます。

扇は京都で発明されたそうや。

五条大橋の義経と弁慶の像の近くに、扇発祥の地を記念して扇塚が建ってます。

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昔々この辺りに御影堂という時宗のお寺があって、一の谷の合戦で死なはった平敦盛の奥さんが寺僧と
一緒に扇を作ったはったんやて。
源平盛衰記によると、そのとき敦盛は16才と書いたあるけど、奥さんもそんなはようから後家はんに
なって扇子作ったはるなんて哀れどすなあ。

「後家の頑張り」ゆう言葉もあるさかい、悲しいなかでも
「今日はエエ扇子が出来たわあ。我ながらええセンス!」と喜びを見出したはったんかもしれへん。

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古代には扇に神霊が宿るとされてました。
「扇の語源は『あふぎ』で、神霊を仰ぎ寄せることを意味する」とエライ先生がゆうたはる。

人の一生と扇は縁が深い。
まず赤ちゃんが生まれ一ヶ月のお宮参りのときに祝着の紐に扇子、張り子の犬、でんでんだいこ
なんかを結びつけます。

この日は赤ちゃんのお披露目で、ご近所に挨拶してまわるのです。
赤ちゃんが来やはったお家は、一生お金に不自由しいひんようにと、穴の開いている5円玉や50円玉を
着物の紐に通してあげる習わしでした。これを「ひもせん」といいます。

このごろは祝儀袋に入れてから結ぶようになりました。

おかえしに結んでくれはった方に紅白で寿と焼印を押したおまんじゅうをお配りするのが習慣でしたけど、
この頃はこれもご注文がまいりまへん。

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結婚が決まり結納には必ず扇を付けます。
末広(すえひろ)とよんで、おめでたいことがずっと広がりますようにという願いです。

この日のお茶菓子は紅白の薯蕷饅頭で、丸い形は円満な家庭が築けますように。そしてよろこぶに通じる
昆布茶と一緒にお出しします。

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京都でもうひとつ有名な扇塚は、新京極にある誓願寺の扇塚です。
世阿弥作、謡曲「誓願寺」に出てくる和泉式部と一遍上人の物語で、和泉式部が歌舞の菩薩となって現れる
ことから、この扇塚に扇を奉納すると、芸道上達間違いなしやそうな。

誓願寺で「芸道上達(たつ)」という「たつのおとしご」の扇子を買いました。

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ここから六角富小路までいくと、京扇子の宮脇賣扇庵があります。
素晴らしい扇が並んでます。どれも技術品を見てるようやけど、私がときおり買わしてもらうのんは、
郵便扇ゆうて120円切手を貼ってそのまま投函できる扇子です。

舞妓さんの絵、かんざしの絵柄やら目移りしてしまします。
私は浦島太郎の扇子を買いました。どなたに出そかしらん。

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「中村軒ではおいしい水羊羹、わらび餅がそろっております。どうぞおこしやしとくりやす」
と書いてお送りしまひょ。きっと来てくれはることまちがいなし。

ほなこの月も、めでたしめでたし。
 

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