第152回 嘉祥喰

   子のぶんを 母いただくや嘉祥喰   一茶

仁明天皇(810-850年)の承和14年に6月16日に16個の菓子や餅などを神さんにお供えして、
おさがりをいただくと疫病を払うと神さんのおつげがありました。

又、後嵯峨天皇が6月16日嘉定銭16文で食物を買い、みんなにふるまうと疫病が治まったと伝えられ、
これらの故事より嘉祥喰がはじまったと言われています。

旧暦の6月は暑さもたけなわで、病にかかりやすいさかい、栄養をとるという意味もあったんやろ。

明治以降この行事は廃れてしまうけんど、1979年全国和菓子協会の協議で嘉祥は和菓子の日として蘇りました。

中村軒では今年創業130年を迎えます。お客様に感謝の気持ちをこめて、すべて天然の素材で作った
五つの味のお饅頭「五福」を和菓子の日に合わせて販売の予定です。

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白は梅酒あん
赤(きびがら染)は味噌あん
黄(くちなし)エンドウあん
緑(抹茶)抹茶あん
茶(黒糖)黒砂糖あん

五福とは書経に出てくる人生五つの幸福のことで、
 1 寿命の長いこと
 2 財力の豊かなこと
 3 無病なこと
 4 徳を好むこと
 5 天命を以って終わること

5番目の天命を以って終わるというのんが一番解釈がむつかしい。

1582年6月2日は明智光秀が主君信長を倒した本能寺の変があった日です。
信長も光秀もこれが天命やったんやろか。

昔から信長暗殺事件は大きな謎とされている。
4番の「徳」を好む光秀が主君を殺すはずがないという説、いやいや信長にイジメられて決起したという説。

私が好きな作家の山本兼一さんの『信長死すべし』という著書の中では、
信長が大阪城を築いて城内に内裏を置く計画をたててるというのを正親町帝(おおきまちのみかど)が聞かはって

「このまま信長をほっといたら朝廷は無くなんのとちゃうか。 信長は天皇家の上に自分が立とうと思てんのんや。
 エライコトになる、信長死すべし」
と公家の近衛前久さんや勧修寺晴豊さんと画策し、信長を殺す役目を明智光秀に内々で命ずるということに
話はすすんでいきます。

そして光秀が信長を倒し、朝廷よりの勅使が来る。
光秀は朝廷から内々に依頼されて信長を討ったのに
「そんな事、帝は関係あらしまへん。
 勅(天子の命令)も、近衛殿から信長討伐の節刀と言われて受け取ったはずの刀も聞いてしまへん」
ととぼけられてしまう。

そして秀吉に敗れ逃げていくところを小栗栖で飯田一党におそわれ、ここで亡くなったことになっています。

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しかしある説には、実は生き延びて家康の片腕である「天海」になったという話もあります。
アリエヘンけど仲々おもしろでっしゃろ。

この天海はなんと106才まで生きて徳川政権を支えはったんやて。これが天命を以って終わるゆうことやろか。

なんでこんな説がでてきたとゆうと、

 ・天海の墓所である日光に明智平と名付けた場所があること
 ・家康をまつる日光東照宮は光秀の「光」という字が取り入れられている
 ・三代将軍の家光は天海が命名したと思われるが、家康の「家」と光秀の「光」が組合されている。
  家光の父である秀忠の字が入ってへんのはナンデヤ

主人殺しである光秀にこのような話が作り上げられていくのには光秀が悪者ではない、徳を好む人であると
世間の人々が認めていたからにちがいおへん。

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いろいろ考えてみると、むし暑いのんも忘れてしもた。
謎解きは一番の消夏法かもしれまへん。

病気の多い現代人です。せめて6月16日に五福を食べ、6月30日にはみな月を食べ厄祓いをいたしましょう。

中村軒の水無月

信長はんにも光秀はんにも食べさしてあげたかった中村軒の美味しいお饅頭です。

ほなこの月も、めでたしめでたし。


第145回 牛尾観音さんとお饅頭

          

久しぶりで友達に逢うと、足腰が痛い、血圧が高い、太ると体の話ばっかりとなる。

饅頭屋の私に「甘いもんは体にようないんちゃうん」と言いよる。
待ってましたと私はしゃべり出す。

常からまんじゅうは悪もんにされてるさかい、ちゃんと反論・弁護を用意してますねん。
「まず」と私は言い出す。
「お砂糖はカルシウムを溶かして骨を弱うすると思われてるけんど、ほんまは体内でカルシウムの吸収を
 助けてることがわかったんや!」
東京農大のエライ先生が
「小腸でのカルシウムの吸収量はカルシウムだけより砂糖とカルシウムを一緒に取った方が約10倍高う
 なったことが確認された」とゆうてはる。

中村軒の薯蕷饅頭

人の脳は全身のカロリーの20%以上を使てるのやて。
バージニア大学のエライ博士は砂糖の摂取量が記憶を高めることを発見しやはった。

アルツハイマー病の患者が甘いもんを食べると明らかに記憶が向上してることがわかったそうな。

必須アミノ酸の一種のトリプトファンは肉・卵・ミルクにたんと含まれてる。
このトリプトファンが脳内に入るときはブドウ糖が必要なんやて。
脳内にはいるとセロトニンに変わって、これが精神安定・催眠作用があるんや。

食後の甘いもんは消化を助けると昔からゆうけんど、そやさかいフランス料理のあとはケーキとコーヒーが出て、
日本料理のあとは和菓子とおうすが出るのんやなあ。

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特に和菓子に使う小豆はビタミンB1、B2が多い健康食品でっせ。
砂糖は肥満を引き起こす、又生活習慣病の代表の糖尿病になると思たはる人が多いけど、
タンパク質・脂質・糖質の三大栄養素は過不足ないようとらんとあかん。
血糖値の上昇を抑えるのんは、緑茶がええゆうことやさかい、おやつにはお饅頭とおうすでバッチリやわ。

健康には一に食事、二に運動デッセ。

1時間歩いたら200〜300kcal消費する。
1Kgやせるのんは30〜45分歩くことやて。

アレコレゆうてんと秋の遠足に行きまひょ、と話が煮えて出かけることとなりました。

お茶の先生は山科の牛尾観音様をご信心してはって、ここは春と秋に祈願の護摩を焚かはる。
「エエとこでっせ。一度お参り下さい」といつもお誘いをいただいてたんで、おまいりすることとなりました。

山科駅から京阪バスにのって小山で下車。
清水寺の奥の院といわれる牛尾観音(法厳寺)を目指します。

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小山は早うより貴族の山荘地となってたとこで、日野富子もこの地に山荘を作ってはった。

音羽川に沿うて山の神のほこらがあったり、お経岩、聴呪の谷、しずく谷不動尊、桜の馬場など、
『奇岩怪石飛瀑にとみ』と昔の本に出てくるとおり。

こんなエエとこ京都にあったんや。
山の息吹がすがすがしい。

観音さんまで1時間半くらいで着きました。

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お堂にあがり、いつものとおり
「どうぞおいしいお饅頭が作れますように皆々に喜んでいただける店でありますように」
とお願いいたしました。

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古い本によると、牛尾山から尾根づたいに石山へぬける道があるそうで、歩くこととなりました。
2時間はかかるそうな。

観音さんから急な階段を登ると石山への道標が出てました。
私にはちょっとしんどい坂を30分位まで登ると休憩所らしきベンチがあったんで、「お弁当お弁当」とさけんで
お昼ごはんとしました。

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桂瓜の奈良漬、うなぎの佃煮、しば漬、栗赤飯というお弁当がものすごう美味しい!
食後はもちろん中村軒のおまんじゅうとみかん、ぶどう等。

しっかり歩いた後のお弁当はおいしくておいしくて疲れがいっぺんにとんでいきます。
食後のおまんじゅうも気持ちを落ち着かせ元気が出てきます。

さあ石山まで出発。
パノラマ台という景色のええとこからは琵琶湖南部の景色がひろがります。
ここから尾根道を下り石山へとむかうのです。

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誰一人出会わんと山道に小鳥の声と水音、木々の葉擦れの音の中、オバサンたちのあかるい声がひびいています。
来てよかった。
足にも体にも精神にも、歩くのんが一番。

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こうしてお饅頭の弁護から始まった小さな旅は終わりました。
お饅頭をお供えしましたさかい、観音さんも喜んで下さってるにちがいおへん。

ほな元気をもろたこの月も、めでたしめでたし。


第128回 時の記念日

中村軒では朝4時頃から仕事を始めます。

今日売るもんは朝から作るという朝生の仕事で、紋日(お彼岸等お饅頭の必要な日)には3時頃から
もち米を蒸す蒸気をあげます。
ひと仕事おわったら職人さんと家族の者は順番に朝ごはんをとります。
ごはん、味噌汁、ちりめんじゃこ、納豆、お漬物、のり、そしてとっておきのかつおぶし。

中村軒のかつおぶし

とっておきゆうのは理由があって、中村軒の茶店で夏はそうめんを出しているのですけど、
そうめんのだしは家で削りたてのかつおぶしと昆布でとります。

「饅頭はもちろんやけど、そうめんもバツグンやな」とお客様に喜こんでもろてます。

中村軒のそうめん

朝ごはんには家で削ったかつおをあつあつのご飯にのせて食べます。
しっかり働くと朝ごはんが一番美味しいでっせ。
この時間にちゃんとお腹がすくので「腹時計は確かやなあ」と笑い合います。

店は7時半開店で、大戸を開けるとさあっと日の光がはいってきて
「お日ィさん今日も一日おたの申します」とお日ィさんにお願い致します。
時計のない時代には、お日ィさんをみて時間の見当をつけたはったんやろな。

日の出が一番はやいのんは夏至より7日前で京都では4時30分頃です。
まだうす暗い中仕事を始めます。
中村軒の東が桂川で毎朝川からお日ィさんがあがってきやはるのんを見ると気持ちが明るうなって
生きる力がわいてきます。

「家の東側に川があるのんは、家相がええ」とオバァちゃんはいつもゆわはるけんど、きっと毎朝川から
のぼってきやはるお日ィさんから「お力」をもらえるさかいやろな。

天智10年(671年4月25日)水時計(漏刻:ろうこくと言うらしい)が時を知らせたと日本書紀に書いたあるそうで、
太陽暦の6月10日にあたります。
それでこの日ィを時の記念日としています。

時計を管理するのんは古代の帝王の義務であって特権でもありました。
農業には暦がのうてはならんもんやし暦を分割したんが「時」です。

山科に『御陵(みささぎ)』という地名があります。
ここに天智天皇さんの御陵があって参道の入口に日時計が置かれてます。

御陵 日時計

400mもある参道をいくと鳥の啼き声、風の音、木々の葉ずれの音が心を落ち着かせます。
静かな時に古代の天皇さんを偲びました。

御陵 山科御陵 山科

「その昔、天智天皇さんが狩りに行かはってそのまま帰ってきやはらへんかった。御遺骸も
みつからへんのんで、天皇さんの沓(くつ)の落ちてたところを御陵にした、という言伝えがあるそうや」
とおばあちゃんはゆわはる。

国のトップがどこへいかはったかわからんやなんて、家来の人達はどないしたはったんやろ」と私がゆうと、
「あの時代は百済を助けるために日本軍が唐・新羅連合軍と戦うて敗れたり、いろいろとあったんや」
「いろいろて何?」ときく私に
「はたちになったらわかる」
とごまかされてしもた。

御陵から地下鉄東西線で一駅戻ると蹴上(けあげ)に着きます。
この辺りは日岡と呼ばれ、東から日を受けるのんが早いのんで日向(ひむ)かいといいます。

日向大神宮

天智天皇さんのご寄進で社殿を修復しやはったという日向大神宮がここにあります。
神社のある山を日御山(ひのみやま)と天皇さんが名付けはりました。

京の伊勢として名高うて内宮外宮も置かれ天皇家の祖神である日の神をお祀りしてはる。
太陽の神さんはギリシア神話ではアポロ、日本ではその名の通り天照大神さんです。

日向大神宮

天皇さんは岩屋隠れが有名ですけんど、日向大神宮にも天の岩戸があって、中の戸隠神社には
天手力男命(あめのたじからおのみこと)がまつられています。
天岩戸をくぐると一切の罪穢(つみけがれ)が清められて神さんの御神徳をいただけるという信仰があります。

日向神社 天の岩戸

一日もはよう震災にあわはった東北が復旧しますように、そして亡くなられた方々のご冥福をお祈りしました。

古代日本の国の基礎を作らはった天智天皇さんと、天下をすみずみまで照らしてくれはる天照さんにお願い
しましたさかい、この国難を必ず乗り越えられることまちがいおへん。

ほなこの月もめでたしめでたし


第122回 忠臣蔵(岩屋寺・大石神社)

「12月の楽しみは顔見世と中村軒のぜんざいや」とゆうてくれはるお方がいやはる。

中村軒のおぜんざいは焼きたての丸いお餅が二つはいってて、たっぷりの小豆の甘さもほどがええ。
ほこほこあったかいものを食べるとほんまに幸せです。
私だって毎日食べたいと思うてしまいます。

中村軒のおぜんざい

   顔見世や 見るため稼ぎ溜めしとか   虚子

という句のとおり、顔見世は私のおばあちゃんの一番の楽しみです。
「始末せなあかん。物を粗末にしたら冥加がわるい」とつつましい生活をしてはるけど、顔見世だけは別で、
顔見世に着てゆく着物は毎年新調して毎晩楽しみに縫うたはった。

江戸時代、芝居狂言の役者は11月から翌年10月までの1年契約やったさかい、11月始めに新しい役者が顔を揃えて
舞台で名乗り口上をのべはった。
これを顔見世とゆうたんやて。

寛保(1741年頃)から1年契約でのうなって名称だけが残って、又陽暦になったさかい、12月に行われるようになりました。

おばあちゃんの好きなんは『仮名手本忠臣蔵』で「ほんにようできたお芝居や」と何回きかされたことやろ。
十一段からなってる忠臣蔵の九段目の山科閑居が大のお気に入りで「品がよろしいなあ」とほれぼれとゆわはる。

大石蔵之助

「なんで仮名手本(かなでほん)忠臣蔵やねん?仮名手本ゆう意味がわからん」というと
お姉ちゃんが
「あんたそんなことも知らんのん。仮名のお手本はいろはの47文字やろ、義士も47人やさかい
 武士の御手本の物語やぞ という意味も含まれてるのんや。
 忠臣蔵の蔵は大石内蔵助の蔵どす。もうひとつ仮名手本には秘密があるのんえ。
 それは・・・
 いろは歌は7文字ごとに改行がしてあるやろ、
 い ろ は に ほ へ 「と」
 ち り  ぬ る を わ 「か」
 よ た れ そ つ ね 「な」
 ら む  う る の お 「く」
 や ま け ふ こ え 「て」
 あ さ き ゆ め み 「し」
 ゑ  ひ  も  せ  「す」
 最後の7文字をつばげると『とかなくしてしす』咎(とが)無くて死す、つまり『無実の罪で死ぬ』
 私は吉良さんが一番無実の罪で死んだはると思う」
と昔から吉良びいきのお姉ちゃんはしんみりと言わはる。へ〜ェ、その秘密はしらんかった。

忠臣蔵

四十七士の中で私の好きなんは大高源吾です。この方は俳句をしてはって俳名を子葉といわはる。
中村軒には源吾はんのお軸があります。

涼しさや風のあふぎの要より

   涼しさや風のあふぎ(扇)の要より   子葉

夏の句やけど、12月14日の討入りの日ィには掛けてお線香をあげています。
軸の裏に「大正五年十二月十四日義士会の節 山科閑居旧跡出陳ノ一也。句友より譲り受ける」と書かれています。
人から人へとどんな変遷をへて中村軒にあるのかわかりません。

忠臣蔵

山科閑居の舞台の岩屋寺には大高源吾がお母さんに送らはった手紙が残っています。
整うたきれいな字でした。きっとやさしいて教養もある人やったんに違いおへん。
そのことを思わすように、忠臣蔵の芝居の中で源吾が出てくる有名な場面があります。

 煤払(すすはらい)の竹売に変装して吉良屋敷をさぐってた源吾が、両国橋のたもとで
 俳句の先生の宝井其角(たからいきかく)と出逢わはった
 「年の瀬や水の流れと人の身は」と其角が詠まはると、
 「あした待たるる其の宝船」と返さはった。

これは歌舞伎の松浦の太鼓に作られています。

吉良屋敷へ討ち入り奮戦した後、ひきあげの折の一句

   山を裂く刀もおれて松の雪

は傑作とゆわれています。

岩屋寺

源吾は松平家預りの上、宮原頼安の介錯で切腹。
辞世の句が

   梅で呑む茶屋もあるべし死出の山

宮原はんはこの介錯の後、武士がすっかりいやになって酒屋にならはったそうな。

長い年月民衆に支持されてきた忠臣蔵です。
私も山科閑居のあとの岩屋寺におまいりしました。

   尼寺に源吾の文あり冬もみぢ   優江

岩屋寺

12月14日は討ち入りの衣裳をまとった行列で知られる山科義士まつりが山科を行進し
最終目的地の大石神社へ参拝しやはる。

山科義士祭り

大石神社は大願成就祈願で有名で、摂社の義人社は討入りのときに必要な武器を調達した大阪の豪商天野屋利兵衛を
まつってあります。利兵衛は商売の神様と言われ、商売繁盛の信仰があついそうな。

天野屋利兵衛

今年も無事過ぎてゆきます。
来年もどうぞ良いお仕事が出来ますようにとお祈りいたしました。

来年も中村軒をどうぞよろしくお願い致します。
ほなこの年もめでたしめでたし。


第84回 十三夜(逢坂山・蝉丸神社)

逢坂山

「秋の月はかぎりなくめでたきものなり」と徒然草に出てくる。

俳句では「月」とゆうだけで秋の季語になる。
ひと月のはじめのツイタチは月立ち、が訛ったもんでツイタチ(一日)は月が立ち始め、だんだん丸うなり始める日ィやゆうことです。

旧暦の九月十三日(今年は10月23日)は「十三夜」で「のちの月」言います。
十五夜に次いでお月さんがきれいで、宮中では月見の宴が催されました。

十三夜は日本だけのもんで、宇多法皇さんは「この夜の月がいちばんでっせ」と誉めはったと伝えられています。

「月の客」とゆう美しい言葉があります。
月光の中では人はだれでも「月の客」となります。

この言葉をきくと私はいつも蝉丸法師と源博雅はんの話を思い出すのんです。

博雅はんが、琵琶の名手の蝉丸法師の弾じる「流水・啄木」の曲をききたいと思うて逢坂山の彼の庵に使いを出して
都へ招こうとしやはったけど、蝉丸は断らはる。

博雅はんは夜な夜な庵に通うて法師のこの曲を弾じるのを待たはる。
三年の歳月がたった八月十五日、待望の「流水・啄木」がきこえてきた!

そして蝉丸はんがひとりごとを言わはんのんです。
「趣のある夜やなあ。風雅な人が今夜ここに訪ねて来やはったらいろいろと語れるのになあ…」

博雅はんはすぐに声をあげます。
「私は三年間この庵にあなたの琵琶がききとうて通ってたんでっせ!」

博雅はその秘曲を教わり「返す返す喜びにけり」と今昔物語に書かれてます。

謡曲の「蝉丸」では、盲目のため逢坂山に捨てられた皇子蝉丸の宮を、姉の逆髪の宮(髪の毛が逆立ってたらしい)が
琵琶の音のきこえる方へと捜しあて、運命の出逢いをしやはる。
そやさかいこの坂を逢坂山ゆうのんかしらん。

  これやこの行くも帰るもわかれてはしるもしらぬも逢坂の関 蝉丸

逢坂の関は京都・滋賀を分かる国道一号線沿いにあります。伊勢の鈴鹿、美濃の不破と並んで古うから関所があって、
枕草子にも「関は逢坂」とあります。

平安時代宮廷の官女が牛車で大津まで出舟に乗りての石山詣がさかんで蜻蛉日記に逢坂山の「走井」で手足を冷やして
生き返った心地すると記されています。

走井は今も「月心寺」の玄関にすえられている。

逢坂山逢坂山

  走井のかけひの水のすずしさに越えもやられず逢坂の関 清輔

今は禅寺になってます。去年ここで村瀬明道尼さんの作らはる精進料理をいただき、お野菜のおいしさに感動しました。
(10名以上で要予約)
お庭もすばらしく、このお寺の縁側でお料理をいただきながら月待ちをしたらどないエエやろ。
月心寺という名も風雅でっしゃろ。

逢坂山

江戸時代にはいっても琵琶湖や北陸からの物資を逢坂山・日ノ岡を越え、京都へ運ぶ荷物が通りやすくするため、
近江商人の中井源左衛門の寄付によって、京都・大津の間に車石(車輪を通すための溝)が敷かれたことが有名です。

逢坂山逢坂山

逢坂山には蝉丸はんを祭神とした神社が3つもあります。
蝉丸はんのお姉ちゃんの「逆髪」の宮もほんまは「坂神」やったんやないかと想像してます。

遠国へ行く人も帰る人も…坂の神さんに無事を祈らはったんにちがいおへん。

蝉丸法師も音曲の神さんとして祭られ、この道に携わる人は関蝉丸神社の免許を受けんとあかんかったらしい。
法師もしらん間に「まんまんちゃん」にならはった。

逢坂山逢坂山逢坂山逢坂山

十三夜は栗名月ともゆうて、栗の美味しい頃です。

中村軒の栗餅・栗赤飯をお供して「月待ち」をしまひょ。
もちろんおさがりを美味しくいただきます。
伏見の月の桂というお酒も用意しまひょな。

ほなこの月もめでたしめでたし


第65回 小野小町(随心院)

岡太夫

古今集では花といえば梅の花のことやった。
梅の花は他の花にさきかけて咲くけれど、紅梅は白梅よりも遅う咲く。
小野小町が晩年住んでたとゆわれる山科の小野の里にある随心院の梅園は3月がみごろで、
梅の花をさして踊る「はねず踊」があります。

この踊りは「100日私のもとに通ったらあなたと結婚しましょう」と言った小町のところへ雨の夜も雪の夜も通い続けたけれど、
99日目の夜に世を去った深草少将の伝説をテーマにした今様踊りです。

   少将さまがござる 深草からでござる
   毎夜よさりに通うてござる
   かやの木の実で九つ十と 日かずかぞえて
   ちょっとかいまみりゃ きょうも てくてく よーおかよいじゃ。

随心院随心院

この童謡はいつから歌われたんかはわからんらしい。

   小野小町はいにしへの衣通姫の流れなり
   あはれなるやうにて強からず
   言はばよき女の悩めるところに
   あるに似たり
   強からぬは女の歌なればなるべし

随心院随心院
 
紀貫之による古今集の序に六歌仙のうち褒めてあるのんは小野小町だけです。
大伴黒主には「その様 いやし」とケチョンケチョン。

こないに褒められてはる小町も実際にはようわからんらしい。
小野妹子、小野篁、書道の小野道風の一族やったとか、違うとか。
晩年には小野の里で余生を送ったとゆわれています。

随心院随心院

昔高校の文化祭の模擬店でかき氷の店をやったことがある。
氷の種類はクレオパトラ・楊貴妃・小野小町の三種類で「美人は冷たい」とのこころです。

食文化の執筆をしてはる永山久夫さんがお書きになっているエッセイを楽しく読ませていただいています。
小野小町をモデルとしたと見られる「玉造小野壮衰書(たまつくりこまちそうすいしょ)」の中に
小町が食べていた献立がのってるそうです。

それによると小町は熊の掌(てのひら)を食べたはったらしい。
熊の掌には若返り・美肌の効果があるコラーゲンがたんと含まれてるとゆうことです。
熊の掌をどうして手に入れはったんやろ?「熊の掌たべはったらきれいになりまっせ」と美男の猟師が差し入れはったんやろか?
私も昔、白山のふもとの民宿で食べさせてもろたけど、美人に変貌してへん

梅

この世界三大美女はみな晩年には不幸になったはる。小町物とゆわれる能には

   卒塔婆小町
   関寺小町
   鸚鵡(おうむ)小町
   通小町

とあって、みな老いた小町の能やけど「草紙小町」のみ若い頃の小町の能となっている。
これらの能の中で私は鸚鵡小町が一番好きです。

100才の小町のもとに帝より歌に返歌をせよとの勅使がやってくる。

   雲の上はありし昔に変わらねど 見し玉簾(たまだれ)の内やゆかしき
   (宮中は昔と変わっていないけれど、その様子が知りたくないのか)

小町はただ一字で返歌をするのんです。

   雲の上はありし昔に変わらねど 見し玉簾(たまだれ)の内「ぞ」ゆかしき
   (変わりのない宮中の様子を見せていただきたいものです)

あまたいやはる女流歌人の中でなんで小町だけ老いた姿が伝えられるのか、これは男中心の世の中のせいにちがいおへん。
どんな男性にもなびかへんかった小町にいちゃもんをつけ、あれこれと話を作り因果応報の説教をしつづけはったんに違いない、
とは私の想像です。

中村軒の私の主人のおばあちゃんは美人で、桂小町とよばれはったらしい。熊の掌を食べはったとは聞いてへん。
この人は何よりお饅頭が好きで、おいしいお饅頭を作るおじいちゃんと結婚。
6人の子供を育てお饅頭作りも手伝い、お三味線を習うたりして幸せな一生やった。

ダンナの仕事が自分も好きとゆうのが一番の幸せかもしれん。
外見の美しさを誇りにしても、年ごとに衰えていくのは自然のこと。

   花の色はうつりにけりないたずらに わが身世にふるながめせしまに

年をとって姿は衰えても心は錦と明るう前向きに楽しい暮らしまひょ

三月のこの季節は摘みたてのよもぎを搗きこんだよもぎだんごがすごく美味しい。
ビタミンCもいっぱいでコラーゲンと一緒にとったら効果バツグン。
熊は手にはいらんでもウナギ・豚足にも含まれてます。

お菓子

つるりとおいしいわらび餅、桜の香りごといただくさくら餅など、お客様に喜んでいただいてます。
老いさらばえて悲しんでられますかいな。

中村軒のわらび餅

   菓子の種はうつりにけりないろいろと わが店に出すながめよろしき  優江

ほなこの月もめでたしめでたし

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