第37回 織部

「柚の色づくを見て囲炉裡に」と利休さんがゆわはった。
今年もそろそろ柚が色づいてきてます。

「炉開きのときは織部と名の付くもんを何か一品使うのんがきまりどす」
「なんでです?」
「何でかわからへんのやけど昔から教えられてきたんどす。この月の懐石も向付には織部焼をつかうのんえ」

織部焼・中村軒織部焼・中村軒

十一月になるとまわりの山々は木々の命を燃やし尽くすように紅葉します。

自然の中の緑が少のうなってくるのを惜しむように緑の釉薬(ゆうやく)をかけた織部が好まれるのんかもしれん。
織部の土色の暖かさが冬へ向かう気持ちを安らげてくれるのやろか。

織部焼ゆう焼物は利休のお弟子さんやった古田織部がつくらはった。

織部焼・中村軒

中村軒でも十月半ばから十一月にかけて織部薯蕷を作ります。
薯蕷饅頭の生地をひなびた土色かかった色にしてお抹茶で緑を付け井桁(いげた)模様を焼印で押します。

粒あんを包んだ織部薯蕷は色も形も十一月の炉辺のあたたかさが伝わってきます。
織部の先生の利休さんは静の茶、織部のお茶は躍動感のある茶と昔習うたけど織部の抹茶茶碗は現代でも
斬新で自由な躍動が伝わってくる。

中村軒の織部薯蕷

徒然草で兼好法師がゆうたはる。
「すべて事がととのいたるは悪しき事なりし残したるをさてうち置きたるはおもしろく生き延ぶるわざなり」

あんまり何事もきちんと整うたもんは味がおへんゆうことやなあ。
「あんたみたいにあんまり整わんすぎんのもどないやねん」とうちのダンナはのたもうておる。

お茶のお稽古に行ってた頃は「足痛い」とか「一服よばれるのんに何でこないにたいそうやねん」と思てたけど
これは心をととのえてきれいにしていく準備やったんやとこのごろしみじみ思えてくる。

お茶のお稽古があんまり熱心でない私やけど、茶道具の名前の付け方の見事さに心ゆすぶられてました。

織部がもったはった伊賀の花入で「生爪(なまつめ)」ゆうのんを昔利休展でみたことがある。
「愛蔵していたこの花入を人に譲るのは生爪をはがされるようだ」とゆわはったことからついた名前で、
このインパクトの強い名前からなおさら有名になったんちゃうやろか。

もうひとつ私が感心している名は薩摩に住む利休さんのお弟子さんが抹茶茶碗がほしいとゆうてきはって三碗送ったところ、
ひとつをとって他の二つは返さはった。
お弟子さんの元に残された茶碗の銘は利休さんがつけはりました。
清盛によって鬼界ヶ島に流された三人のうちの平判官康頼と丹波少将成経の二人は許されて都へ帰ったけれど、
俊寛はひとり残されます。このことから利休さんは残された茶碗を「俊寛」と名づけはった。

そのうち私もお菓子にええ名前付けてみたいなと思てます。
先日小浜の佛国寺の和尚さんを慕うてるうちの二男がお地蔵様の日に
「そや!お地蔵さんのお饅頭作ってお参りの人達に食べてもらお!」
うちのダンナと相談してお地蔵さんのお饅頭を作りました。

中村軒のにこにこ饅頭

私はお地蔵さんを食べるゆうのんがどうも抵抗があって「あかんのちゃうか」ゆうても息子はゆうことをきかへん。

「和尚さんに名前を付けてもらうねん」とどっさりお地蔵さんのお饅頭を持ってお参りにいきました。
和尚さんはみるなり大喜びでお参りの人達に
「このお饅頭は何とゆう名にしましょうね、みなさん。でも今から考えてもダメですよ。私がもうちゃんと考えましたからね
はい ニコニコ饅頭です」

和尚さんからええ詩を頂きました。

「ニコニコまんぢう」
 御地蔵様に守られ
 お地蔵様のように
 いつもニコニコ
 あたたかい心で
 親切に
 すべてにつくしてゆく
 ニコニコまんぢう

めでたしめでたし


第33回 七夕

もうすぐ七夕さんですなあ。

七夕さんのお菓子は糸巻きゆう薯蕷で織姫さんの織らはる糸をまいた糸まきから付けた名前です。
七夕に歌をそなえるのんが始まったんが室町時代やゆうことで、江戸時代になると歌を梶の葉に書くようになったらしい。
天皇さんが古いお歌やったら一葉に一つずつ七首、いま作らはったお歌やったら一首を七枚にわけてかかはったゆうことどす。

七夕さんのお茶会ではお水指の蓋は梶の葉にします。なんとも涼しげでみずみずしいのでっせ。
天の川を渡る舟の舵からの連想で梶の葉を使うらしい。

梶の葉蓋・中村軒

天神さんでは硯に梶の葉を沿えて供える神事があるそうです。
七夕の夜にはカササギが翼を交わして天の川に橋をかけるとゆわれてて、牽牛と織姫が出逢えますようにと祈るのは
ほんまにうるわしい風習やと思てます。
今の子に云うと「遠距離恋愛やったら電話なとメールなとしんかいな」とゆわれてしもて話にならへん。
なんでこないに話の通じん世の中になったんでっしゃろ。

七夕さんのころは夏野菜のおいしいころで、ご近所の百姓やさんとこでは床机をだして採れたてのおなすやらきゅうり、
トマトなんかを売ってはる。
中村軒のある桂ではまだ田んぼや畑がのこってて、お野菜作りもさかんです。

きゅうりの花・・中村軒なすびの花・中村軒セロリの花・・中村軒

私は野菜の花が大好きで、以前のお茶会にきゅうりの花を切って時代籠にいけた事があります。
「正式なお茶会には野菜の花は使たらあかんけど、うちうちのお茶会には夏らしいてええなあ」とよろこんでもらいました。
きゅうりの花、おなすの花、セロリの花もほんまに可愛らしおす。

井上さんというお百姓さんはひょうたん作りがお好きで、いろんな珍しいひょうたんをつくったはる。
青葉にひょうたんの実がゆれてんのはほんまに涼しそうですねん。

ひょうたん・中村軒

ひょうたんの花は夕暮れから咲きはじめます。
ひょうたんは夕顔科の一種で、ひさご、ふくべとも呼ばれます。
私は夕顔の花が好きで、毎年種をまきます。源氏物語の中にある源氏の恋人の名が夕顔で、
この人は六条の御息所の生霊がついて死んでしまわはる。
はかない夕顔の花のように。

  心あてにそれかともみるしら露の光添えたる夕顔の花

生霊てどんなんやろ。意味ものう人を殺したり、傷つけたりする人にはとりついてんのんかもしれへん。
生活が複雑になってきて夜まで仕事せんならんようになると誰にでも生霊がとりつきやすいのんかもしれん。
「ああこわ。」

今でも堺町松原あたりに夕顔のお墓があるらしい(源氏物語ゆうのんは物語の世界やのになんでお墓があるのんかわからへん)
町名を夕顔町という。
夕顔が風雅やけど暗い感じがするのもこの生霊がとりついたイメージからちゃうかしらん。
それに比べるとおんなじ夕顔科でもひょうたんは明るい感じがする。

ひょうたんの花・中村軒

ひょうたんは末広がりで出入り口に掛けとくと幸せを吸い込んで逃がさへんとゆうておばあさんは入り口にひょうたんを飾ったはった。

「入るのは簡単で出ていきにくいゆうてなあ、お金がたまりますねん。」
そのわりには貯まった様子もあらへんけど・・・。

ひょうたんは乾かして水筒の変わりに水をいれたりお酒をいれたりして使われた。
ことにお酒はおいしなるそうな。
ひょうたんの中にいれといた種は絶対に芽がでるゆうことです。

秀吉は信長から金のひょうたんを馬じるしにすることをゆるされて一勝ごとに一つ加えて千になるように願わはった。

お客さんがきてくれはるように私も玄関にかけてます。
ひょうたんがお客さんを吸いこんで逃がさんとことひょうけて揺れてるのは心がなごみますねん。

ひょうたん・中村軒

この半年を六瓢息災(むびょうそくさい)ですごせたのもひょうたんのおかげです。

めでたしめでたし。


第32回 野の花

六月は身のまわりに好きな花がいっぱい咲く。
あじさい、下野草(しもつけそう)、雪ノ下、やぶれ傘、ほたる袋、白糸草。いっぱい広がって匂うてる。

ほたるぶくろ・中村軒下野草・中村軒やぶれがさ・中村軒ゆきのした・中村軒

十薬も好きな花のひとつで「十種の薬の能がありて十薬となす」と貝原益軒著の「大和本草」の中に書いてある。
むかしはこれを煎じてよう飲まされた。
老廃物をとりのぞく作用があって「色白なるさかいに」とゆわれたけどいまだに色黒。これはどないやろ。

じゅうやく・中村軒白糸草・中村軒

母子草も大好きで、これは「オギョウ」と呼ばれて春の七草のひとつとして親しまれてます。
平安時代には草餅の材料として母子草が使われてました。
母子草という名は葉を餅に入れて搗いた葉っこ草がなまったもんやと言われたり、茎や葉に綿毛がたんとあって冠毛が
ほうけ立つことからホウケ、これがハハコになったとも。

あったかそうなふあふあした感じがあったかい母のイメージにつながるということで母子草となったという説もある。
母子を共に搗くのんはあんまりやとゆうので、母子草のかわりによもぎを入れるようになったらしい。

母子草・中村軒

水尾では柚子の花も咲いてるやろ。
水尾にいっぱいある「しきみ」も四月には花をつけてる。可愛らしい花やけど木には毒があるゆうことです。
昔土葬やったとき、お墓のまわりにしきみの花を植えて、動物が掘りかえすのんを防いだんや、ということを聞いたことがある。

しきみ・中村軒

神さんにお供えするのんはさかき「榊」で、しきみは「樒」と書くけど木に佛とも書く。
愛宕さんにお参りすると水尾からしきみを売りにきてはる。一枝買うて帰っておくどさんでご飯を炊くとき一葉ずつちぎってくべると
火伏せになるゆうことやけど、ごはんもガス釜、おふろもガス風呂やさかい今は佛さん専用どす。

私はあんまりはなやかな花より路次のすみで咲く花や畑にへばりついて咲く花が好き!
名もない花というけどたいていの雑草にも名前があって誰がつけはったんかこころにくい名が付けてある

 雀の鉄砲
 雀の帷子(かたびら)
 雀のえんどう
 雀の柄杓

名前がかいらしくて好きになった草もたんとある。
すずめとつく名の草は小さいということからきてるそうな。

七段花は昔ドイツ人の医師シーボルトが書かはった日本植物誌の中で紹介されていたけれど
日本にはもう絶えてしもたと思われてました。ところが1959年神戸の六甲で発見された。
それから挿し木によって増やされた苗が広がり中村軒にもあります。シーボルトはこの花をオタクサと学名をつけてました。
シーボルトの妻の名、楠本滝の愛称「おたきさん」からとられたとゆうことらしい。

七段花・中村軒

猫のひたいほどの庭やけど、ほたる袋やら虎の尾、七段花なんかが雨にぬれている様子はしみじみとして心が落ち着いてくる。

私のお茶の先生は「雨を楽しむ」とゆわはって、お茶室で雨の音をきくことがあった。
静かにして心を澄ましてると今まで気ィ付かへんかったことが心にひびいてくる。
庭の緑が下地窓にうつって竹の桟が緑に見えたり、壁の色もしっとりとして雨漏りのあとさえこれも又景色とよろこぶ。

お茶のお菓子はこのころは青梅(中村軒では紀州という名がついてる)、あじさい、くず焼やったり、
あーあ、私はやっぱり雨音よりお菓子を楽しんでしまう。

六月の十六日は昔朝廷で嘉祥の祝があった。
仁明天皇が元号を嘉祥に改めはったとき、十六日に十六個のお菓子を神前に供えて疫病除け健康招福を祈願しはった。

その後、江戸時代になると江戸城では大名達に和菓子を振舞ったそうです。
これを「嘉祥頂戴」とゆうたんやて。

町方ではお米一升六合とお菓子を交換して食べたりしたらしい。
今はこの六月十六日を和菓子の日としています。
六月のじめじめした頃、人の心をあかるうするのんはお菓子やったんちゃうやろか。

中村軒のあじさい

今年の父の日にはお父さんをお茶会に招いたらいかがやろ。
もちろん家庭の一部屋にしつらえたお茶席で「父に感謝」という自筆の色紙を掛けてゆっくりと一服のお茶を楽しんでもらう。
雨が降ってたら雨の音をたのしみ、晴れた日には日の光を喜び、お菓子はもちろん中村軒の麦代餅。
お父さん元気出ることまちがいなし。

めでたしめでたし。


第30回 桜

  さまざまの事思い出す桜かな 芭蕉

とあるようにほんとに桜はいろんな事を思い出します。卒業や入学のような人生の節目が春にあるせいかもしれん。
わが中村軒でも桜にちなんだお菓子を作り始める。

中村軒の春の和菓子

吉野
 これは桜の名所の吉野山からとった名前。上用製で こし餡を包んでます。桜の焼印を押して出来あがり。
桜餅・春爛漫
 共に道明寺製で桜餅は桜の葉で包み、春爛漫は桜の塩漬け を付けて花ごと食べられるように作ってます。

道明寺粉は大阪藤井寺市にある道明寺というお寺が発祥地とゆわれてます。
米餅を蒸して乾燥し、砕いて作る道明寺粉を使うて門前のお菓子屋さんが作らはったので
お寺の名前をとって道明寺と呼ばれてます。

中村軒の道明寺

東京の桜餅は長命寺というお寺の門番をしてはった人が考えはった。
毎日たくさん散る桜の葉を塩漬けにして保存。クレープのようなもんを焼いてこし餡をこれに包む。
さらに塩漬けにした桜の葉で巻いて出来あがり。

東西共にお寺と関係が深いのんがおもしろい。

桜の葉は大島桜の葉を塩漬けにしたもんで、伊豆で栽培したはるそうな。
桜のええ香りはクマリンという物質のためらしい。生の葉のときはさほど香らへんのに塩漬けにするとクマリンが出てくる。

桜餅は葉ごと食べると一層春を感じます。
しっとりした道明寺があっさりした餡とよう合ってなんともいえまへん。

中村軒の桜餅

  雨ごもる愉しさのあり桜餅   大平俊子

俳句のお仲間にこんな句がある。ほんと桜餅って雨に似合うお菓子のような気がする。

平安時代のお話で藤原実方が花見をしているとにわか雨が降ってきた。
実方は「桜狩雨は降りきぬ同じくは濡るとも花の陰に宿らむ」と詠んで春の雨に衣装も濡れるままにまかせておりました。

後でその話を聞いた蔵人頭の行成(書道家として有名)が「実方のやりかたはわざとらしいとちゃうか」と評論し、
それを耳にした実方は、他の事もあっての事やろけど行成の冠を笏で打ち落としてしもた。
成行は「どういうわけでこんな仕打ちを受けるのかうけたまわりたい」と冷静に言い、
これを見てはった天皇さんが実方を不快に思われて「陸奥の歌枕をみてまいれ」と実方を左遷。
今やったら「何やっとんねん、首や!」ゆうとこやけど、そこはやんごとないお方のゆわはることはちゃう。

宮城県の名取市塩手に実方の塚がある。
後に西行が通りかかり「朽ちもせぬその名ばかりをとどめ置きて枯野の薄かたみにぞ見る」と詠まはった。

私は何年か前、宮城県にうちのダンナと行くことがあって
「実方はんのお塚へお詣りしたいねん。かたみの薄を見に行きたい…都恋しと思いながらこの地で亡くならはった実方はんも
 『京女が来てくれた』ゆうて喜んでくれはるやろ」

そんな私の言葉を
「京女にもよるんちゃうか。美女ならともかく色黒のオバハンではなあ…。仙台の笹かまぼこで一杯やらな。はよ、はよ」
とせかされてとうとう行けへんかった。

実方がこの地で亡くなった夜、京の寺の住職が雀の夢を見はった。
「我は実方である、京へもどれぬまま没したが魂は雀に化して都へもどる」
住職が起きてみると一羽の雀のなきがらがあったそうな。
この霊を慰めるため塚が築かれその寺を雀寺というようになった。

この雀寺は左京区静市にあるけど、もとは四条大宮にあり、私はこの寺の娘さんと同級生でお寺にも遊びにいってました。
お母さんが料理がお上手でお手製のお菓子をごちそうになった。おいしいもんのことはいつまでも覚えてるもんやわと、
われながらおかしい。

実方は死後歌の神になって上賀茂神社の橋本社にまつられ、歌人の信仰をあつめていました。

上賀茂神社上賀茂神社

私も俳句上達を願ってお詣りしたら
「橋本社は実方をおまつりしてません」と神主さんがゆわはる
「そやかて賀茂の岩本、橋本は業平、実方なりと徒然草の67段に出て来てますねん」というと
「ようそんなふうに言われるのですが、お祭りしているのは衣通姫です」

ほんまにどないなってるのんやろ???と思いながら中村軒へ戻ってきて桜餅を食べる。ほんのりと都の香りがする。
「実方さん成仏してや。こんど陸奥へ行くときは中村軒の桜餅お供しまっさかいになぁ」

めでたしめでたし


第27回 南天

おかし歳時記を書き始めてから3回目のお正月を迎えます。

中村軒の従業員がゆうことには
「奥さん、天皇さんのむつかしい話はもうよろしい。
 もっとわかりやすい美味しそうな話書きなはれ。天皇さんは宮内庁におまかせしなはい」
と叱られて今年はおかしとお花のことについて話をさしてもらうことにしました。今年もよろしくお願い致します。

今年は羊年。
羊羹はひつじの羹(あつもの)と書く。
これが私は長いこと謎やった。羊羹とひつじとどない関係やろ???

『和菓子の起源』(松尾夜城 著)によると羹とは吸い物の意味で(熱いもの)からきている
羊羹は昔の中国では羊の肉をこまこう切ったもんを入れたお汁やったらしい

唐から渡来したときに日本では動物の肉を食べへんさかい肉のかわりに同じ色をした小豆粥、小麦粉、葛なんかを
まぜて蒸し、肉のかわりに汁にいれてたらしい。

宮中の女房ことばでうどんのことを、あつものという。
こんなとこにもうつりかわりの様子が残ってるのやなあと妙に感心してしまう。

これがどういうわけで今の羊羹になったかとゆうと
豊臣秀吉が聚楽第に諸大名招いたとき岡本喜右衛門が備中産の白小豆に食塩をまぜ、
寒天でかためて赤色の羊羹を作らはった。
はでな色の好きな秀吉にはお気に入りやったとゆうことです。

中村軒では栗を離宮の庭の飛び石にみたてた手流しの栗羊羹が好評です。
うちのんは水あめを入れんとサラリとした羊羹に作ってあるのでなんぼでも食べられます。

中村軒の栗羊羹

お正月にはお店に飾った南天を愛でながら、おいしい栗羊羹でゆっくりお茶をいただくことにしています。

中国では南天を聖竹とゆうてお正月には必ず飾り新年を祝います。
これは「難を転じる」という縁起木で家の鬼門に植える。
花の少ない季節に一陽を照らすように赤い実が目に入ると心が和みます。

雪兎の目に南天の赤い実を入れて遊んだことが昨日のように思い出されるのに、このごろ京都は雪もめったと積もりません。

雪が降ると南天の赤い実がことに美しく、紅白でめでたいとよろこばれます。
実は咳止めの薬として利用され南天材のお箸は長寿箸といわれめでたいことだらけ。

南天南天

お赤飯の注文をうけると堺重に赤飯を入れて南天の葉を添えてお届けしていました。
堺重というのは泉州堺で作った重箱で大の中に中、中の中に小、と中へ中へとくみ入れていくお重で場所をとらずに便利です。
昔はどこのおうちにでもみかけました。
なかなかに風情があります。中村軒にもまだ置いてございますので、ご覧になりたい方はどうぞお声をおかけ下さいませ。

中村軒の栗赤飯(堺重)

おいしいお菓子お餅お赤飯を召上ると難を除いて、福となることまちがいなし。
今年も良いお年であります様に。

めでたしめでたし。


第18回 吉野太夫

今月は桜が早うから咲いて中村軒でもお花見のお菓子を作るのが忙しい。

桜餅・花見だんご・花大福・田楽、その中で私の大好きなんは「吉野」ゆう上用饅頭です。
桜の花の盛りの頃は開いた桜の焼印をおして、お花の散る頃は花びらの焼印になる。
さらっとしたこしあんが何ともいえまへん。

中村軒の吉野

花の名所の吉野山から名付けたんやけど、もうひとつ京都には花をもはじらう吉野がいはった。

昔昔、島原の前身六条三筋町に吉野太夫という容貌秀麗な遊女がおりました。
「ここにさへ嘸(なぞ)な吉野は花盛り」 と詠まはったんで吉野の名が付けられたそうな。
(これは三代目の吉野という噂もある)

そのころの遊廓は知的な社交場の風格をそなえていました。

ある大名が「私のもってるもんの中でほしいもんがあったらあげまっせ」
吉野 「定家の小倉の色紙がほしおす」

これは俊成の歌で
「世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞなくなる」というのを定家が間違わはって
「山の中にも鹿ぞなくなる」と書き違えたもんで、定家の「山中の色紙」とゆうて名高いもんでした。

私やったらさしづめ「高島屋の商品券がほしおす」ゆうとこやけど・・・
そんな教養深き美女の吉野にぞっこんやったんが灰屋紹益です。

灰屋というのんは当時の化学薬品で染物、陶器の釉薬の原料を扱う豪商やった。
1300両という大金であらゆるライバルをけおとして身受。
ところが「由緒ある佐野家の嫁にはなんぼ天下一の遊女でもあきまへん」と反対されて二人は家を出、侘住居をはじめはる。
このとき「山中の色紙」も売って生活費になったとか。

ここからがおもしろいのやけど、
紹益の父紹由が雨宿りしてはったら美しい妻女が「そこでは雨もかかりましょう。中へどうぞ」
妻女がお茶をたてる戸捌きのみごとさに心から感服。
その佳人が吉野太夫と知って即座に勘当を許し佐野家の嫁として認めはる。
これは「桜時雨」というお芝居になっている。

「そやさかいお茶のお稽古をなまけたらあかんちゅうてんのに」
と母に叱られる。けど、なんでこんなことで私がおこられなあかんのや???

太夫ちゅうのんは何やのん
元来四、五位の人の通称やったんが室町ごろから卓越した芸人に与えられる尊称となったそうな。
遊女には「天神」なんて位もあって天神は25文やったゆう話。
これは天神さんの縁日が25日からついたんやて。道真公もあきれたはるやろ。

ともあれ晴れて夫婦となった二人やのに吉野は38才の若さで死んでしまはった。

どっからみてもようできた人ゆうのんはしんどかったんちゃうか、と思ってしまう。

「命まで賭けた女てこれかいな」とゆう川柳があるけど、結婚したらあるがままの自分で通さんとかないまへん。

熱愛した吉野の死に紹益は

  都をば花なき里となしにけり吉野を死出の山に移して

と詠んで悲しみのあまりその灰を飲んだゆわれてます。

うちのダンナに「私が死んだら私のなきがらの灰を飲んでくれるか?」とゆうたら
「灰(はい)」
「ほんまか?うそやろ?」
「灰(はい)」
こらあかんわ。

身代の限りを尽くして燃えた愛やった。うらやましいような、しんどいような・・・。

吉野は死後、鷹ヶ峰の常照寺に葬られました。
ここの吉野門という赤門は吉野が23才で私財を投じて寄進しはったそうな。

茶室の遺芳庵に吉野窓という大丸窓がある。窓の下部が切りとられ円が欠けている。
「満つるは欠くる」と奢りの心を引きしめ吉野が切らしたとゆわれてます。

彼女が打掛けとして愛用していた織物は吉野間道とよばれて茶入れの袋として人々に愛用され、
吉野門・吉野窓・吉野棚などみな後世に伝えられています。

吉野太夫吉野太夫

いけずといわれている京女の中にあって吉野太夫だけは情しこぶる篤くなんて絶賛されている。

「同じ京女でもなあ・・・」と私の顔をみて言うやつがある
「満つるは欠くる」、ほんまはよう出来てんにゃけどわざと欠かしてんのやないのん

めでたしめでたし

第17回 よもぎだんご

 三月のおひさなんの頃はとりわけよもぎだんごがおいしくなる。

お菓子

中村軒ではよもぎの葉をゆでて米の粉のだんごの生地に搗き込んでつくるので、あおあおとしたよもぎだんごができる。

これを見た人が「これ色粉とちゃうのん」
すかさずうちのファンのお客様が
「何ゆうてんのや、ここのんは正真正銘よもぎばっかり。一回食べてみなはれ、やみつきになりまっせ」

ほんまにお得意さんは有り難いです。
餡はもちろんくぬぎの割木で炊いた粒餡。

私たちのお茶の先生からもしげしげご注文をいただく。先生は平家物語がお好きでお稽古のあとはようその話になる。

  平清盛に寵愛されてはった祇王さんていう白拍子がいはってなあ・・・

清盛「何か欲しいもんあったら言いなはれ、なんでもかなえてあげまっせ」
祇王「私の生国は水の便が悪うてお百姓さんは困ってはります、野洲川に溝を掘って水を通して欲しいのです」

ここらへんのお願いが私とはちゃうとこやと感心感心・・・
ところがある日仏御前という白拍子があらわれて清盛公はこちらへ心を移しはったんやて。祇王さんはリストラされて館を出るときに

  萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いずれか秋にあわで果つべき 

と詠んで今の祇王寺の地にお母さんと妹の祇女さんと三人で出家して庵をむすばはった。
そこへ尼の姿で尋ねてきはったのは、なんと仏御前やないのん。17才にしてこの歌に無常を感じ出家。
4人一緒に念仏三昧の明け暮れをおくらはったとゆうことえ

平家物語ってネコもしゃくしも出家しはるけど、どないして食べていけんのやろ?

托鉢ゆうても周りにあんまり家もあらへんころやし、檀家はなし。拝観料はなし。
「あだし野のよもぎを摘んでよもぎだんごを作って、おうす付で500円ゆうのはどないやろ」
「尼さん白拍子 ゆうのんはどうどうす」とKさんが言わはる。
「夜はかつら付けて料亭へ出張」
「祇王さんが清盛のとこへいはったときは毎月百石百貫の仕送りがあるなんて書いた本もあるさかい預金してはったんやろか」
Kさんは「僕が清盛やったら屋敷出てからも一生めんどうみたげまっせ。清盛は度量の大きい男や思います。」
ごもっともごもっとも。

扇谷正造さんは日本史探訪の中で、清盛は粋な政治家(ソフィスティケイテッドスティッマン)やゆうたはる。
粋な政治家には5つの条件があるそうです。

第一に 国際的知識の豊富なこと(宋と貿易したはった)
第二に 人生経験に富んでいる(保元の乱などを経験)
第三に 女あしらいが良い(常盤御前 祇王)
第四に 事にあたって動じない(平治の乱など)
第五に 何もかもわきまえてどこか一寸ぬけている人の良いところがある(頼朝を殺さず助けている)

こんな政治家今いはんのかいな???
あれやこれやでこんなけの器量の持ち主や、生活費援助してはったんやろ、で話は落ち着きました。

先代の祇王寺の庵主、智照尼さんは、かつて祇王と同じような世界に生きた佳人で
出家して念仏と俳句を友としてお過ごしやった

智照尼さんの「竹」という句集のあとがきに
たくわえ(貯蓄)を持たない私は隠世生活を維持していくための生計の必要からつてを求めて「女心」という
舞妓時代の回想記を一回分二円の稿料で、約一年間連載。次に週刊朝日に「七彩の灯」を八回連載していただきました
と書かれている。

出家して庵を結ぶんもたいへんや

  煩悩の明日断つ髪を二度洗う
  宝啓駕に乗ってうれしき日もありし
                    智照尼

おとなしゅうきいてはったお茶の新しいお弟子さんが「先生、祇の王さんの話けっきょくどないなりましてん?」

君よ今昔の感如何

めでたしめでたし


第14回 顔見世

11月下旬から南座に「まねき」があがるといよいよ師走。

「顔見世観ひんとお正月が来いひん」と母はゆうてこの忙しい中をいそいそとええ着物着て出て行く。
「おことおおさんです」なんて挨拶をかわして。

私には「忙しい忙しい、お大根つけなあかん、そうじもせな・・・ああ、もう、せんなんことが山ほどある」言うくせに
「芝居ゆくのんは何でやねん」と思っていたけど、忙しい中をやりくりしていくのが又楽しみで生抜きやったんやろ。

忠臣蔵が好きで「松本幸四郎の内蔵助がよろしおした」と昔むかしのことを覚えてる。

マサコ 「なんで討入しはったんか、ようわからん」
母   「君の恵みにくらぶれば富士の高嶺も高からず千尋の海もなお浅し死すともなどか惜しむべき・・・やないのん」
マサコ 「吉良さんがあんなしょうもない事でいじめるはずがないやないのん」
母   「そやけどお芝居では浅野さんのつけとどけが少なかったことになってる」
マサコ 「一打ち三に流るる山鹿流の陣太鼓、なんてドンドン打ったらせっかく寝てる人を起こして逃がしてるみたいなもんや」

私は毎年母とけんかしながら忠臣蔵をみる。
大高源五がすす払いの笹竹売りに化けて吉良邸に近づこうとすると両国橋で俳諧師其角に出会う。

 年の瀬や水の流れも人の身も  其角が声をかける
 あした待たるる其の宝船    源五が答える

この話も其角が「明日でっせ」と人にしゃべったらどないする気ィや。

大高源五は俳句、茶道に通じて宗匠山田宗偏から14日に吉良邸で茶会があるのを確かめたのは源五です。
討入り後早岳寺へ引き上げたときの一句

  山を裂く力も折れて松の雪

は傑作といわれています。
この大高源五の短冊が中村軒にあります。

  涼しさは風の扇のかなめより 子葉

俳名を子葉といわはる。
夏の句やけど、私は討入りのあった12月14日の前から床の間にかけてお線香をあげます。
何やらかんやら評論してしらんまに忠臣蔵ファンになってるのがおかしい。

理屈ばっかりゆってんと、源五の掛け軸を見て忠臣蔵の話をしながら
おいしいおぜんざいをいただきまひょ。

たっぷりあずきのはいったおぜんざいに搗き立てのお餅をこんがり焼いてあーおいし。

  何もせぬてふぜいたくや餅ふくれ 優

中村軒のおぜんざい

お土産にも贈り物にもできるようにぜんざい餡は真空パックにしてます。
おぜんざいにつけている昆布も自家製で、これがおぜんざいの甘味にぴったんこ。

「吉良さんが可哀想やないのん」と思いながら食べるおぜんざい。
忙しいときこそ一息いれなあかん、とは母のせりふ。

どうぞ中村軒で一服してくださいませ。
今年も一年無事で過ぎ行こうとしております。

めでたしめでたし。

第13回 お十夜


11月の最初の亥の日は 亥の子 と呼ばれて、炉開きの日とされています。
お茶のお稽古に行ったらおぜんざいが出るのが楽しみやった。

お茶のお菓子は亥の子餅。

「猪はたくさん子を産むさかい、子孫繁栄を祝うてよばれるのえ。それで火避けの神さんの愛宕神社のお使いは猪やろ、
 そやさかい亥の日に炉を開いたら火事がおこらへんのんえ」 と先生はいわはる

「ほんまかいな」と思いつつ美味しいお餅を目の前にすると
「ごもっともごもっとも」といただきます。

「11月はお十夜の月やさかい、皆でお参りしまひょ」と信心深い先生に誘われる。

  列車音の響ける寺の十夜かな 優

中村軒の亥の子餅

浄土宗のお寺では、お十夜という念仏を唱え極楽往生を願う法要があります。
なんやかんやお寺に集まってお話を聞いたり、人さんと交流したりしんと女は外へ出られへん。

「なむあみだぶつ」と唱えたら極楽へいけるありがたい教えなんやけど、二時間もの法要はうとうと眠うなってくる。
でもちゃんと法然上人は許してくれはるのです。

徒然草の中にとてもあったかい話があります。

ある人法然上人に
「念仏を唱えてる時、ついねむけをもよおします、どうしたらいいでしょうか」
法然上人
「目のさめている間、念仏をなさい」

次は私みたいなものに言うてくださった言葉で
法然上人
「なむあみだぶつと念じたら極楽へ往生できます」
マサコ
「そんなもん嘘に決まってる」
法然上人
「疑いながらも念仏すれば往生す」

嘘やと疑うていながらも、念仏したら救うて下さるという。
寛大なおしえです。これもまた尊し、と徒然草はしめてある。

今年のお十夜もええお話やった

今はアメリカでおきたテロが原因で戦争になっていますが、その昔、法然上人のお父さんが夜討ちをかけられて亡くなる前に
勢至丸(法然上人の幼名)にさとされました

「決して私の仇を討とうとするな
 うらみによってうらみを消すことは出来ぬ
 お前が相手を打てば、又その子がお前を討とうとするであろう
 それでは殺し合い傷つけ合うことが果てしなく続こう」

アメリカに殺された人は、又アメリカ人全部をうらむでしょう。
子供の頃から何回も聞いた話なんやけど、今しみじみと胸を打つ
「全員そろて出家したらどないやろ?」

極楽寺の庭は桂離宮と同じ仕組みに造らせてあるそうな。
五色散椿がみごとなんやけど、拝観は出来まへん。

さあ、ありがたいお話のあとには亥の子餅をいただきまひょ。
中村軒の亥の子餅はこしあんで、皮はりゅうひをきび殻で色付け、ゴマが入ってて懐かしくも上品なおいしさ。

  パソコンに無中の子と食べ亥の子餅 優

お十夜で御利益をいただけ亥の子餅をたべて火の元も安心。
こうしておだやかに11月は過ぎていくのです。

めでたしめでたし。

第12回 お月見


最近ゆっくりとお月さんを拝んだことがない。
昼間働くのはあたりまえやけど、夜までなんやかんや仕事がある。

メールチェックしなあかん。
ついつい長いことパソコンの前にいる。
テレビも「北条時宗」は蒙古がきよったところで胸ドキドキしてみなあかん。
「その時歴史が動いた」「プロジェクトX」もすごい楽しみで私を幸せにしてくれる。

パソコンの手を止めてふっと窓をみると、お月さんがいはる。
お月さんには大きい桂の木があるんやて。
お月さんのきれいなところは桂という名がついたんやろか?

  つきの名所はかつら浜〜 とかあるしな。

ものの本によると葛野(かつらの)から桂になったゆうことやけど、桂の里は歌枕の地。
月の桂をよまれた歌がいっぱいあります。

  久方の桂の里のさよ衣をりはへ月の色にうつなり 藤原定家

今月のお月見は10月1日。これが15夜で後の月の13日夜は10月29日になる。
「片っぽだけお月さん選んだらあかん」と母は毎年のように言うてお月見だんご、こいも、すすき、萩の花を供える

この頃は月にむら雲を形どった、おだんごの上にあんをのせて月見だんごとなっているのが多いけど、
中村軒は昔の月見だんごも作っています。
これは米の粉だけのまんまるいおだんごで、和三盆という上等のお砂糖をつけていただく。

中村軒の昔の月見だんご

もう1つはやっぱり米の粉のお団子で中にこしあん入。
もう1つは最初の月にむら雲の月見だんごです。

お月さんにうさぎもいはる、ということでうさぎの形をした栗あんの入った薯蕷もしてます。
可愛いのでおみやげにも喜ばれています。

私が一番好きなのは昔の月見だんご。
米の粉のだんごのおいしさに和三盆が口の中でしんみりとひろがっていく美味しさ。

お月さんはどれがお好きやろ。

うちのお向かいの桂離宮は私の永遠の憧れのところです。
月を賞でるためのさまざまな工夫がしてあるらしい。

離宮からお月さんを拝ましてもろたことがないのんで、
「名宝日本の美術桂離宮」(小学館)と言う本からの話では
「古書院の東に80本ほどの竹をしきつめてある月見台が設けられている」
そこで貴人はお月さんの出を待たはったんやろ。
お月さんは月見台の左手の天橋立から出て、右へと移ってきはって、月見台の正面に出てきはったとき池にうつるそうです。

桂離宮はお月さんを見るための別荘やったんやないかしらん。
お月さんにかかわった名前が多い。

月の字形欄間 月の字形の引手 歌月の額 月見台 月見窓 浮月の手水鉢 月波楼

私が特に感心してるのは、池に浮かべる舟を「歩み月」というそうな
舟がすすむたびお月さんも歩んでくるようにみえるのかしらん。
いつか「歩み月」とゆう舟型のお菓子を作ってほしいとうちのダンナに頼んでます。

もうひとつ、月に関係のあるおいしいお菓子が中村軒にあります。
「月」という名のどらやき。丸を月にみたててます。

   久方の月の桂も秋はなほ 紅葉すればや照りまさるらむ  壬生の忠岑

この歌を袋にすっています。月の桂のお土産にぴったりです。

中村軒のみかさ

桂離宮での月見は片思い。せめて歌枕の桂の里でとびきりおいしいおだんごを食べてゆっくりと月の出をまってお月見を楽しみまひょ。

一句できることうけあいでっせ。

めでたしめでたし。

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