第237回 箱階段

中村軒に嫁いできて「エエなあ・・・」と見上げたんは箱階段です。


階段と戸棚が一緒になってて「こんなん今の時代に作ったら家一軒建つゆうことやで」とオジイちゃんの自慢でした。

 

 

この階段の下で卓袱台(ちゃぶだい)を出してごはんを食べてたさかい、吹き下ろしてくる風が寒いときは、

上段のすぐ下の板がひっぱれるようになってて、風除けになるし、上から二段目は板が外れるように

作ったあって、隠し金庫にも使われてました。

 

昔は借用書などを入れてはったみたいやけど、今中を探したら叔父のおそまつな通知簿が出てきた。

他の引き出しはたんすのかわりに使える

 

 


「部屋と家具を置かへんと家が広う使えまっさかい」

というのがおばあちゃんの美意識で、無駄を省いた合理性が京都人の矜持やったんやろ。

 

箱階段の前の大黒柱は、一尺以上ある檜を

「商売人がそない立派なもん使たらあかんゆうて9寸に落としたんや」とくりかえし聞かされた。

 

黒光りするよう磨き上げるのが嫁のツトメやと言われる。


たまに磨いてると近所のオバアさんが来やはって「ようおきばりやすなあ。エエお嫁さんもらわはって」
その後の姑の言葉が聞き捨てなりまへん。

「まあまあ今日びのことやし、『つろく』してたらええとせんなりまへんやろ」

 

つろくてなんや?
(ほんまやったらうちの息子にももっとエエ嫁さんをもろてもおかしくないのやけど)
そんな気持ちがはいってるような言葉やおまへんか?

 

「つろく」を辞書でひくと「能力・相応・つりあい・調和・一致・バランス」とあって、悪い意味では

ないのやけんど、どうも悪意を感じる。

 

あるエライ先生は「つろく」ゆうのんは分相応と解釈します、とゆわはる。

一尺以上ある檜の木を商売人にはつろくせえへんと9寸に落とした。
ちょっとピントはずれの嫁やけど、うちの息子にはまあまあつろくしてると諦めなあきまへん。

そんなイメージやろか。


なんちゅうややこしい京都弁やろ。

 

 

そやけどエエように考えたら分相応ゆうのは無理のない生き方なんかもしれん。
立派な出来すぎる嫁はんもらうと「あ〜しんど。グチも言えへんがな」となりまっせ。

能力以上の有名校へ入っても幸せになるとは限りまへん。

 

昔の人はそんなんみんなひっくるめてつろくした生き方をしようとしてはったんに違いない。

 

秋には中村軒も工事が始まります。
まず桂の地につろくした建物内容になります様にと願うばかりです。

 

来月こそはコロナ退散となります様に。

めでたしめでたし。


第235回 五月人形

新型コロナウィルスの感染が拡大している状況に伴うて4月11日より臨時休業しています。

そやけど大将人形は出すことにしました。


そもそも人形はすべて悪いもんを取り除くという意味があります。

魔除け、災難除けの祈りをこめて飾ります。

 

 

オバアちゃんは「大将さんを祀る」というて飾るとはゆわはらへん。

お飾りを見ても、陣太鼓は音を出して悪いもんを取り払う意味があり、軒先に菖蒲とよもぎを挿し、

菖蒲湯に入ります。香りの強い植物は魔除けの力があると伝えられてきました。

匂い菖蒲の根をたたいてお風呂に入れるとほんまにエエ匂いがしまっせ。


根を煎じたんは民間療法で、肺炎発熱にも効果があるし、菖蒲湯は神経痛・リウマチにもようききます。

コロナにも効果あるとええんやけど。

 

そうゆうたら子供の頃お風呂を出て菖蒲の葉でハチマキをして

「王さんや」ゆうてあそんだことも懐かしいなあ。

 

外へ出られへん毎日、菖蒲湯に入ってリラックスしまひょ。

 

お節句のときお供えし、おさがりをいただく柏餅もけっこうな由来があります。

 

枕草子には「かしは木いとかしこし 葉守の神のますらむもいとかしこし」とあるように、

柏の木はもともとあたたかい所にあったもんが、寒地で育ったため、寒気の中で離れにくく、

枯れても落ちず新しい葉が出てから古い葉が落ちます。

 

そのためお家継承子孫繁栄に繋がると言われるありがたい葉です。

これは葉守の神が宿るといわれててこれにより皇居を守る役人を柏木と呼びます。
源氏物語の柏木の巻も主人公が右衛門督の役にあるのんで、柏木と呼ばれました。

 

中村軒の五月人形は大将さん、桃太郎、弁慶、金太郎と共に神功皇后と武内宿禰もお飾りします。

 

 

神功皇后は女性でありながら兵を率いて新羅の国を攻めて戦わずに降伏させはった。

大臣の武内宿禰は五代の天皇に仕えはったという忠臣です。
宿禰はんが抱いたはる赤ちゃんは後の応神天皇です。

 

応神天皇のとき、大和朝廷の勢力が飛躍的に発展したと言われています。

 

みなみなのお力でどうぞコロナの国難を取り除いて一刻も早う店を開けられますように。

 

ほなこの月もめでたし、めでたしとなりますようにと祈るばかりです。


第233回 いちまさん

   もたれ合ひて倒れずにある雛かな   高浜虚子

 

今年も三月となりました。
毎年のように座敷に古いお雛さんをおまつりします。

 

中村軒の雛人形中村軒の雛人形

 

この人形は主人のおばあさんの人形で、明治に丸平大木という京都で一番古い人形店で作られました。

屋号を丸屋とゆうてご当代は代々大木平蔵を襲名しやはったさかい、京都の人は丸平さんと呼んではる。

 

昔、京都の娘は丸平さんの雛人形と宮(夷川にある上等な家具屋さん)のたんすを持ってお嫁入りする

のんが夢やった。

中村軒のおばあさんは一人娘やったさかい上等なお人形屋さん丸平さんで雛人形を誂えはったんやろ。

 

宝鏡寺

 

「このごろだんだんお雛さんを飾らんようになってきましてなあ 
 出すのんも片付けるのんも力がいりますやろ。二階の納戸からおろしてくるのがたいへんで」

と皆口をそろえて言わはる。

 

うちのオバアちゃんは楽しんで出したり入れたりしてはったけど、それはきっと子や孫やと大家族で

住んでたさかいかもしれん。二階からおろしててくるのんもひと仕事やったけど、家中で楽しんで

お雛さんをおまつりしました。

 

今年母の大事にしてはった「市松人形」が中村軒に引っ越してきました。

 

 

市松人形はもともと歌舞伎役者佐野川市松の舞台姿をお人形にしやはったんが始まりやそうな。
佐野川市松は江戸中村座の人気役者で、小姓粂之助に扮したとき、紺色と白色のチェックの模様の袴を

つけてたんで、その模様を市松模様、市松格子と呼ばれるようになりました。

 

手足が動くように作られてて、着せ替えもできて子供の抱き人形として遊ばれました。

 

母は「いちまさんはなぁ、持ってる人の災いの身代わりになってくれはるのんや」といつもゆうて大事に

してはった。そやさかい母が今106歳で元気でいられるのんはいちまさんのおかげでっしゃろか?

 

中村軒ではこの10月から座敷も耐震工事にはいります。

 

工事後は今の座敷も椅子席にする予定ですけど、来年からもお雛さんを飾るスペースをとり、おまつり

する予定でおります。

 

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いろんな行事を絶やさんように続けていくのんは古い店の使命やと思てます。

 

この古いお雛さんは毎年どこか修理してもろてます。

 

中村軒の建物も、ぎしぎし音のする廊下、かたむいてる床の間、気になることばかりです。

修理後は安心してお客様をお迎えできる店に、

そして今よりもっともっとくつろげる中村軒になるにちがいありません。

 

どうぞこれからも中村軒をよろしくお願いします。

 

ほな今月もめでたし、めでたし。


第232回 おふださん

   木の間出る人に二月の光かな   高浜虚子

 

はや二月となりました。

 

節分の翌日が立春で、2月4日頃にあたります。
禅宗ではこの日「立春大吉」と書いたおふだを寺院堂舎の入口に貼らはる。

 

京都の人はおふだが好きで、おばあちゃんは「おふださん」とゆわはる。
古い商家ではいろんなおふだが貼ってある。

 

まずは愛宕山の火の用心のおふだです。昔は愛宕山には月まいりと言うて
毎月おまいりをしました。それだけ火事は恐ろしかったんやろ。

 

 

2月23日には7日間ご祈祷されたご本尊五大力尊の「七難即滅七福即生」の
ありがたいおふだがいただけます。

 

私が大好きなのは徳力先生の火の用心のおふだ。
「かきのもとひとまる
火気元(かきのもと)火止る(ひぃとまる)」
鉄斎書の龍が書いたある火の用心のおふだです。

 

 

中村軒から10月から耐震工事もはいるのんで、工事家相の心配を除くという
城南宮さんへお詣りします。


住居を清めるお砂をいただいて敷地の四隅と中央に撒きます。これで安心安心どす。

この頃若い人の間にも寺社にお詣りして御朱印をいただくのがブームとなってるそうな。


神さん仏さんに心の内を聞いてもらうだけでも気持ちが楽になる。

境内はすがすがしいし、季節のお花が咲き、又桜や紅葉の名所の所も多い。
そしてたいてい参道には名物のお菓子屋はんがある。

 

寺社ではないけど、中村軒では桂離宮の帰りに立ち寄ってくれはるお客さんも多い。

 

この方達が店に来てくれはって、よう聞かれるのんが上がり框(かまち)にかかってる
七福神の押絵です。明治16年(1883年)中村軒創業の折、下桂村のお裁縫の先生が7人、
ひとりひとつの神さんを押絵にして額に入れ、お祝いとして頂いたそうな。

137年年間お客様をお迎えしてくれてはったんやろなあ。

 

 

最近お寺でも神社でもおまいりするのに椅子を用意してくれてはるとこが多い。
中村軒でもこのたびの工事で椅子席を増やそうと計画中です。


「車椅子のお客様でも足のお悪い方でも気楽に利用してくれはんのとちゃうか」と
息子が申します。

 

「今の風情をこわさんようにしてや」と私がくどくど言うてますけど、大工さんが
知恵をしぼってくれたはるのんで、絶対お客さんも気に入ってくれはること間違いおへん。
どうぞ楽しみにしておくりやす。

 

いつまでも気軽でくつろげる中村軒でありたいと一同申し合わせています。
どうぞよろしゅうおたの申します。

 

ほな今月もめでたし、めでたし。


第231回 中村軒の建物

あけましておめでとうございます。

 

今年はねずみ年。ねずみは大国主命のお使いです。

ねずみには災害を予知する能力があって、火事や地震がおこる前に安全な場所に移動するといわれ、

古代中国では未来を知る神の動物と考えられてました。

 

 

中村軒ではお正月には鏡餅の他に「ねずみの餅」をこしらえます。
これはお正月の神さんをまつる歳徳棚にお供えするのんです。

ねずみの餅は12の餅をくっつけたもんで、節分まで歳徳棚に供え、あとは屋根裏のねずみにあげるのんです。

一緒の家に住んでるさかいに「お正月位はお餅をあげるのや」とおばあちゃんはいわはる。

 

 

三年位前まで古いお家から注文をいただいていたけど、そこのオバアさんが亡くならはってから一軒も

注文をいただかへんので、今は中村軒用のを作るのみになってしまいました。

 

今年は中村軒には大きく変わる年となります。


創業明治16年ですが、現在の建物が建ったんは日露戦争のとき明治37年やそうな。
100年以上あっちこっちを修繕しながらきましたけど、いよいよ全体を直さなあかんと大工さんからいわれてしもた。
今年の10月から来年の春頃まで修理にかかりそうです。

 

今年は中村軒の建物や創業以来のエピソードを記していこうと思っています。

 

今の建物は明治37年11月に棟上げをしたと棟札が出てきました。
棟梁は笹川新右衛門、河原米次郎と二人の名が書いたある。

 

「檜の山を二つ買うてええとこどりにして建てた」とオジィちゃんはいつもゆうてはった。

 

この頃は四条大宮から桂まで一軒もまんじゅう屋が無かったそうで婚礼のお饅頭、お祝いの赤飯と忙しい時代

やったんにちがいおへん。そやさかい家も建ったんやろ。

 

創業者芳松の写真

 

中村軒の昔の写真

 

この写真にある看板は早う傷んでしもて、今の看板は桂大橋が明治22年にかけかえられたとき、

川底のれんがを囲てある木をもろて置いてあったんをうちのダンナが高校生の時、彫刻刀で

彫って作ったんやて。家は修繕してもこの看板はずうっと残るで、とダンナの自信作です。

 

まだまだ中村軒の話は続きます。
来月をおたのしみに。

 

今月もめでたし、めでたし。


第213回 ひやしあめ

中村軒で夏の人気はわらび餅・水ようかん・くず桜・かき氷、そしてひやしあめです。

麦芽水飴を溶いて炊き、生姜を加えて冷やした飲み物です。

 

中村軒のひやしあめ中村軒のひやしあめ


「ひやしあめってなあに?」と東京のお客さんが聞かはる。
関東にはないらしい。

 

   飴湯呑む 水着を汐のたるるまま   野村泊月

 

と俳句にあるように、海水浴の海辺で売られたりと昔は熱うして飲むのが普通やった。

これも又、消夏法で体に良いとされて病気、お産のお見舞いにも使われました。

 

もっと昔には天秤棒の両端にそれぞれ釜と箱を吊って飴湯売りが歩いたんは夏の風物詩やったそうな。

 

後に残らへんあっさりした甘さと、生姜の香りはとびっきり暑い京都の夏を乗り越える

昔の人の知恵やったんにちがいおへん。

 

話は変わりますが、桂から近い松尾にある月読神社に月延石があります。

 


これは古代神功皇后が妊娠中にもかかわらず、三韓征伐へ行かはるときお産が始まっては大変と、

この石でお腹を冷やして妊娠を延長して日本へ帰国しやはってから出産しやはった。
この皇子が応仁天皇とならはる。

 

このお産のお手伝いをしやはったんが、桂に住んだはる桂女で、この皇子を麦芽の飴で育てはる。

古代には飴は気力を益し、吐血を治し、体内の毒素を取り去る薬用として使われていたそうな。

 

皇子が育てた飴を桂女が桂の地で製法を伝えました。

 


桂離宮の御用御飴所として有名な桂飴養老亭がこの製法を守って来られましたけど、

先年閉店されて残念です。

 

うちのオバアちゃんはここの飴が大好きで、お裁縫のあいまに小さい缶から飴を出して口に含んではった。

きっと疲れを取り、気力を取り戻す力があるのんやろ。

 

『京都の地名』という本には明治10年の調べで、中村軒のある下桂の物産は越瓜・飴・茶と記されてる。


桂の名物がなくなって残念やなあと思ってるとき、市内の飴屋さんが中村軒のひやしあめの材料で

飴を作ってくれはることになりました。

 

 

麦芽の飴でしょうが汁を入れてさっぱりとしてます。
桂の名物になりますようにと月読神社さんへお詣りしました。

ぜひ一度召し上がってみとうくりやす。気力が満ちてくること間違いおへん。


そして暑い夏をのりこえまひょ。

 

ほなこの月もめでたし、めでたし。


第208回 阿刀神社

京都は寺社仏閣がたんとあるけど、私が興味深いのんは、あんまり知られてへんところで、

特に名前が変わってると「何やろ、なんでここにおまつりしたあんのやろ」と興味津々です。

 

前から気になってる神社は新丸太町通を西へ行ったとこの「阿刀神社」です。

 

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気の毒なほど細い道をたどっていった奥にある。
檜の木、楠の木の間に小さい祠やけど丁寧におまつりしたはる。
境内もきれいに掃かれてました。

 

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この近くに安堵橋がかけられてて、この名の由来は阿刀がなまってアンドになったんやて。

 

「京の町を追われてきた人はこの橋を渡ったら嵯峨御所の守護不入の境やさかい
 ヤレ助かったと安堵しやはったんえ」とオバアちゃんは見てきたようにいわはる。

 

安堵の塔(ルルゲ)さんも近くにある。
日蓮宗のお坊さんが布教したはったところ、他宗徒に追いかけられて近くの甲塚古墳に逃げ込まはった。


その古墳のふたに南妙法蓮華経と題目を刻まはったんがルルゲ(龍華)の塔といわれて
災難払いの功徳があるとされています。

 

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そもそもこの辺の古代の豪族やった阿刀氏は空海(弘法大師)のお母さん方の姓で、

有名なんは阿刀宿禰大足(あとうのすくねおおたり)で空海さんに学問を教えはった。

 

嵯峨天皇は空海の文才を愛されて真言にも帰依しやはったけど、空海が天皇さんと親しゅうできたんは

阿刀氏の力があったんやろな、きっと。

 

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話は戻って、この塔をもうちょっと行くと遍照寺がある。

昔は広沢池の西北、遍照山のふもとに真言の僧の学問所の壮麗な伽藍があったんやそうな。

 

広沢池は観月の名所で、昔々具平親王(ともひらしんのう)と大顔(おおがお)という親王の侍女がお忍びで

お月見に出かけはったとき、大顔さんが急死してしまいエライことやったらしい。

 

身分違いの恋は源氏物語の夕顔の土台になったといわれてる。

大顔と夕顔と似てまっさかいなぁ

 

「広沢や芦吹き枯らす夜々の月」とゆう風雅な句も知られてます。

 


このあたりはまだまだ自然が残っててもうすぐ梅もちらほら咲き初めることやろ。

 

 梅にうぐいす

 

うぐいす餅を持ってこのあたりを散歩するのんもよろしおすえ。
中村軒のうぐいす餅は、あんは国産の青えんどう、上にかける青い粉は青州という青大豆の粉で、

全部自然の色でっせ。ぜひぜひ召し上がってほしいおすすめのお饅頭どす。

 


これから暖こうなると、もっと知られてへん京都を歩こうと思てます。

どうぞよろしゅう。

 

ほなこの月もめでたし、めでたし。


第207回 信天翁

あけましておめでとうございます。

 

今年は犬年です。犬は悪魔お祓い子供を守ると言われています。

 

 

「お宮参りの時産衣に犬張り子をつけると魔除けになるのんえ」とおばあちゃんは言わはる。

 

妊娠5ヶ月の犬の日に安産祈願のお参りをして神社で腹帯を授かってきます。

その時ご近所や親しい方にお赤飯配ります。
昔は産婆さんには必ずお届けしたそうな。

 

お赤飯は器に軽う入れるのがしきたりで、お産が軽うすみますようにとの願いです。
お赤飯の赤色も魔除けになると信じられています。

 

昔の妊婦さんはこれからが大変やったらしい。
特に農村に嫁がはった私のおつれは「お産は病気と違いまっせ」と働き者の姑はん
から言われて「辛抱と堪忍の毎日やったわ」と言うのやけど、
辛抱と堪忍は一緒ちゃうのん。

 

辛抱はつらい仕事でも我慢して務める、堪忍は怒りをこらえて相手を許すと辞書にはある。

 

中村軒の店内

 

話は飛ぶけど中村軒のあがりかまちに「堪忍」と書かれた扁額があがってる。
「商売の家は堪忍の額をかけるのが習わしや」おじいちゃんも言わはる。

 

禅宗の御老師が言わはるのには
「堪忍は無事長久の基
 自分に向かってくるもの全て受け入れていくと
 耐え忍ばなければならなかった苦痛は苦痛でなくなる」

 

偉い人が言わはることはちゃうな。ごもっともごもっとも。

 

中村軒の堪忍の字を書かはったんは、明治時代の書家であり政治家の山中静逸(せいいつ)はんです。

富岡鉄斎の生涯の友やった人です。

 

明治維新後は石巻の知事にならはった。
農民の幸せを考えた政治をしやはったんで、仏の山中様と呼ばれたはったんやて。

 

引退後嵐山に対嵐山房という庵(いおり)をむすんで過ごさはった。


この対嵐山房は現在ご清遊の宿らんざんと言う旅館になってます。

お庭に明治天皇行在所(あんざいしょ) 山中邸跡という石碑が立っています。

 

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山中静逸はんは号を信天翁(しんてんおう)という。

山中邸の川をはさんで向こう岸、大悲閣への道しるべに芭蕉の句碑があります。

 

   花の山 二町のほれば大悲閣   はせを

 

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そばに漢文でこの句を讃えた碑がある。
「明治11年3月 信天翁」としるされていて、このあたりは特にお気に入りやったようや。

 

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信天翁はあほうどりのことで、天に信(まか)せて一日中同じ場所で魚が来るのを待っている翁(老人)の

ような白い鳥、ということから付けられたそうな。

 

地上にあっては足どりつたない鳥やけど、洋上の飛翔能力は鳥類の中で最も高い。
ゆったりと飛ぶ姿を昔の人は沖の大夫と呼びました。

 

何事にもこだわらんと、天に信かそうと、明治という時代をゆったりと飛びたいと思っはったんかしらん。

 

嵐山を愛さはった山中はんは、この辺の土地300坪を地主であった下桂村の風間八左衛門はんから
200年契約で借り受け10円支払うと記録にある。

 

風間八左衛門はんは桂から京都の街まで出るのに他人の土地を踏まんと行ける大地主やった。
中村軒とは同じ下桂村で昔から親しゅうしてもろてました。

 

そんなご縁からこの扁額はうちに来たんかもしれん。
一つの扁額から辿っていくと歴史が見えてくるのも楽しいことです。

 

ご老師が言われるように堪忍は全て受け入れていくやわらかい心。
それを肝に銘じて仕事に精を出す1年でありますように。

 

今年も中村軒をどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

めでたし、めでたし。


第203回 お彼岸

   梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな  正岡子規

 

お彼岸は昼夜の時間が同じで真東から太陽がのぼるさかい自然の恵を拝み
ご先祖さんに感謝をささげる日本独自の行事です。

 

先祖さんにお供えするのんはおはぎで、春は牡丹の花に見立てて「牡丹餅(ぼたもち)」と呼び、

秋は萩の花に見立てて「お萩(はぎ)」と呼ぶ、と言われているけんど、私はぼた餅とよんだ

ことがあらへん。春も秋もおはぎです。

 

おはぎと共におけそくさんもお供えする。
これは小さなお餅のことです。

 

佛さんにお供物をのせる台のことをお華足、お花足といいます。
台の足に花の模様が彫ってあることが多いために付いた名前やゆうことやけど、この頃は

供えるお餅のことをおけそくさんと言うようになりました。

 

お彼岸に亡き人を偲ぶのは日本のエエとこやと思てます。
自分の先祖だけではのうて歴史上の人物を偲ぶのも仲々よろしい。

 

ウチのオバァちゃんは楠木正成はんの大ファンで小学唱歌の「楠公の歌」をいつも歌てはる。

15番まであるのんをみな覚えてはるのにはびっくりです。

3番の「父上いかにのたもうと見捨てまつりてわれ一人いかに帰らん変えられん」が特に好きで

涙ぐまはる。昔の人は純粋や。

 

私はどっちかとゆうと足利尊氏はんが好きです。
強いけど人が良うてうっかり醍醐天皇に利用されてしまはるとこも可愛らしい。

 

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嵯峨に宝筐院というお寺があります。
門前に小楠公菩提寺宝筐院の碑が立ってます。

 

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お寺の中心である楠木正行、足利義詮(よしあきら)の墓所におまいりします。

父である正成と尊氏のときから戦陣での仇同士やのに、一緒にまつったあるんはなんでや。

 

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私が所属している俳誌嵯峨野の最初の主宰である高桑義壬先生は、著書『京都歳時記』に

次のような文章をのせたはる。

 

 正成、尊氏二人は当時の情勢でやむなくそういう立場に置かれたのだ。
 正成は尊氏と和睦して事にあたろうとしたけど、公家たちに反対され湊川に玉砕した。

 正茂の子正行と尊氏の子義詮がここに墓を並べていることは一見異様なようだが
 実はそれが両氏の関係を語っているといっていい。

 足利の菩提寺等持院の黙庵禅師は正行が戦死した時その首を持ちかえり当院の境内奥深く葬った。
 一方義詮は黙庵に自分の死後かねてより敬慕していた楠正行の墓の傍らで眠らせたまえと遺言した。

 楠木、足利父子二代は仇敵とされるが、黙庵を通じて正行の霊と義詮のこころざしは
 春の雪のごとくとけあっている。現世の恩讐を越えてかたく結ばれていた。

 

   供え萩 塚恩讐を越えて立つ  山本零余子

 

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中村軒の佛さんに「正行はん、義詮はんにおまいりしましたえ。胸をうたれてもどってきました」と

言いながら美味しいおはぎのおさがりをいただく。

 

おけそくさんは、おさがりを焼いてお醤油を付けていただくのが楽しみです。

 

どうぞ世の中が平和であります様、災害がおこらずエエ小豆がとれます様

 

正行はんにも義詮はんにも、こんなおいしいおはぎやらおけそくさんを召し上がっていただきたかった。

しみじみと思うお彼岸でありました。

 

ほなこの月も、めでたしめでたし。

 


第200回 かつら饅頭

おかし歳時記をご愛読いただきありがとうございます。
今月で200号となりました。

 

毎月京都の名所を訪れたり京都の産物に携わられてる方にお逢いできたりとけっこうな時を過ごさせて頂きました。

 

振り返るとおかしと関係ないことばかり書いていたようですが、200号ということで

明治16年創業当時よりの名物であるかつら饅頭の話を知って頂きたいと思います。

 

 

こしあんと素朴な皮のシンプルな美味しさが人気のかつら饅頭は初代の姉、お米さんの

「甘いお饅頭食べたら一個でうんざりするやろ。

 もうひとつほしいなと思わはるあっさりしたお饅頭を作りよし。ほなら2倍売れるやんか」
という言葉から生まれた名物饅頭です。

 

美味しいお饅頭を作るのはまず材料です。


中村軒ではおいしい井戸水がでます。
井戸水の検査に来た人が「なんと冷たい水。長い間検査してるけどこんな冷たい井戸水ははじめてや」

と誉めてくださる自慢の名水です。

 

その水を使い、昔からのおくどさんでくぬぎの割木を燃やして北海道の小豆を炊き上げます。


さらりとしたこしあんを包んだかつら饅頭では、旧久邇宮家の方々に愛され御用達の看板をいただきました。

初代由松が饅頭屋を初めて130余年。ずっと人気のかつら饅頭は中村軒で働くもの全員が大好きなお饅頭です。

 

「130年間饅頭屋をやってると人の好みも変わってくる」と父はいつも言うてました。

 

もちろんかつら饅頭は何時食べてもおいしいて飽きがけえへんけど、その時期の素材を活かした

季節のお饅頭も皆さん待ってくれてはる。


春はよもぎだんご・桜餅
夏の柏餅・くず桜・みな月
秋は栗餅や栗赤飯
冬は椿餅や雪うさぎの薯蕷。そして柚子をくりぬいて上等の葛を流した「かぜしらず」が人気です。

これは5代目が考えた新しいお菓子です。

 

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最近のお客様の好みとして、いちご大福などくだものを使うたお饅頭が好まれるようになってきています。

今でも果物を水菓子というように、菓子とはもともと果物や木の実を意味する言葉やったそうな。

 

中村軒でも夏場は茶店のかき氷が人気やけど、その中でも季節の果物を使った氷が喜ばれてます。

 

4月末〜いちご氷
7月頃〜マンゴー氷
8月頃〜すだち氷
9月頃〜いちじく氷

 

それ以外に桂でしか作られてない桂うりの氷も美味しいて、水尾のゆず、桂の桂うり、城陽のいちじくを使った

ジェラートも販売してます。

 

先祖さんは変わった世の中になったとかの世で思たはるやろけど、ご先祖さんと現在私達と変わってないのんは

正直においしいもんを作るということです。

 

店に来て頂くお客様によろこんでいただこうと、特に心がけている事があります。

庭で栽培している山野草を活けてお花のある店にする。

又三月五月のお節句には先祖さんから引き継いだ人形を飾る。

床の間にはその折に応じた掛け軸をかける。

冬にはいろりに毎朝炭をおこし、火鉢もおいています。

節目に季節を感じて頂きたいと思っております。

 

 

今回おかし歳時記200号を記念して何らかの形でサービスさせて頂くことはできないかと考えた末、

人気の「いちじくジャム」700円を350個限定で半額で販売させていただくことにしました。

6月1日からはじめます。
3個以上買って頂くと、特製の保冷バッグも差し上げます。

 

 

いちじくは城陽のいちじく農家から仕入れたものを砂糖と少しのレモンを加えて炊いたもので、保存料など

一切入れておりません。

 

パンにもヨーグルトにも美味しいのですが、私は酒かすを焼いていちじくジャムを乗せて食べるのが日課です。

酒かすにはビタミンB1、B2、B6があって、美容おと健康にバツグンやそうな。

そこへ古来から不老不死の果物といわれているいちじくジャムをのせるさかい美味しいてたまりまへん。

 

 

私いつまで長生きするのやろ?生きてるかぎりはおかし歳時記は続けるつもりでおります。
今後共どうぞよろしくお願い申し上げます。


つたない文章ながらも200回。皆さんのおかげで続けることができました。


めでたし、めでたし。


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