第218回 かつら饅頭

はや12月、年賀状を書きながら平成最後の年賀状やなあとしみじみと思ってます。

 

平成は国の内外天地とも平和に成るという意味があるそうな。
昭和は国民みんなが平和に世界の国と共に繁栄を願うという意味なんやて。

 

昭和は日本の歴代元号の中では一番長う続きました。

62年と14日やということです。

 

昭和天皇の皇后様は久邇宮のご出身で97才と最長寿でいらっしゃった。
その久邇宮家の方は中村軒のかつら饅頭がお気に入りで、久邇宮家御用達の掲板をいただいています。

 

 

かつら饅頭は「米(よね)まんじゅう」ともゆうて、創業者のお姉さんのお米さんの
「甘いお饅頭を食べたらひとつでうんざりするやろ、あっさりした薄味のお饅頭を
 こしらえたら、もうひとつ欲しいなあとおもわはったら、2倍売れるさかいな」

という言葉から生まれたお饅頭です。

 

 

このときの話ですが「久邇宮家御用達のお墨付きをいただけまへんやろか」と二代目龍太郎が願い出た

ところ、昭和9年8月5日に宮邸まで取りに来るようにとのお知らせがありました。

 

参上する手土産は何がええやろと思案の末、地元でとれた西瓜がええやろと農家中村房次郎さんにお願い

にあがって、タクシーが来てから切ってもろて、5個持参しました。

 

8月の一番暑いさなか紋付の羽織袴で参上。
宮邸で差し出すと「西瓜に注射(薬物)なんかしてへんやろな」と一切れ切って毒味しやはったらしい。

 

宮さんが、お前のとこの饅頭はあっさりした甘さやさかいたんと食べられる、と喜んでいただいたそうです。

 

皇后さんが幼いころ過ごされた久邇宮邸は現在『KKR京都くに荘』という国家公務員の福利厚生の一環と

して運営してるホテルになってます。

 

 

 

私が寄せてもろてる俳句会は今年このホテルで新年会をしています。
ご縁があるというのんはありがたいことです。

 

入口には皇后様の歌碑があります。

 

   鴨川のほとりにいでて
   ながめやる
   荒神橋はなつかしきかな

 

 

荒神橋は京の七口の一つ荒神口にあります。

近くに火の神さんの清荒神護浄院があることから、荒神口・荒神橋の名が付きました。

 

安政2年(1855年)、皇居が火事になったときに、天皇さんが移らはるために架けはった橋で、

勤皇橋、幸橋とも言われました。

この橋から北白川から志賀峠を経て、びわ湖、西近江と繋がります。

 

皇后様も荒神橋の由来などきかれて成長されたことでしょう。

 


昭和は遠くなりにけりですが、次の時代になっても、お米さんのあっさりした
皆さんに喜ばれるお饅頭を作っていきます。

本年もありがとうございました。
新しい年もどうぞよろしくお願いいたします。

ほなこの平成もあと少し
めでたし、めでたし。


第212回 信長忌

   セミナリヨ跡の青盧(あおあし)信長忌   佐野美智

 

6月2日は本能寺で家臣の明智光秀の謀反により自害しやはった日です。

 

光秀は信長の遺体を必死に探したけど見つからへんかったそうな。

本能寺の地下に火薬があって爆破されたからやとか、信長の家臣が隠したとかいろんな説がある。

 

「実はなあ、信長はんが帰依したはった阿弥陀寺の清玉上人が骨灰を集めて

 阿弥陀寺に埋葬しやはったんえ。」とオバアちゃんは見てきたように自信たっぷりに言わはる。

「あのなぁ、不思議な事を教えたげよか」とオバァちゃんは続けはる。

 

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「天正10年6月2日、信長はんは碁の名人を本能寺で対局ささはったんや。
 算砂(さんさ)はんと鹿塩利賢(かしおりげん)はん。
 二人とも強うて勝負がつかへん。
 三却の状態となる。
 三却というのんは何千何万局に一回という珍しい形や。
 これが出たとき、古来から凶事の前ぶれやとされてて、勝敗は無勝負となるのんや。
 恐れた二人は早々に帰ってしまわはったんやけど、
 その数時間後に信長はんは業火の中で自害しやはったんや。
 囲碁は呪術や易学と結びついてた時代の事やけど、信長の命を占うてたんと
 ちゃうやろか。そんなん迷信や言う人もあるけんど、私は虫の知らせゆうもんあると思うねん。」

 

阿弥陀寺では毎年6月2日に信長を偲ぶ法要をしやはる。
一般参拝者もお焼香さしてもらえるそうでっせ。

 

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ここ阿弥陀寺には信長と息子はんの信忠、そして本能寺の変の戦死者のお墓があります。
又、俳人蝶夢のお墓もあるのんです。

 

蝶夢は芭蕉を尊敬したはった俳人で、芭蕉の墓所である義仲寺翁堂が荒れ果ててるのを嘆いて再興し、

1793年に芭蕉100回忌を盛大に成し遂げはった。

 

後にこの阿弥陀寺の住職とならはる境内には芭蕉の句碑と蝶夢の句碑があります。

 

   春立つや新年ふるき米五升   芭蕉

   我寺の鐘と思はず夕霞   蝶夢

 

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蝶夢はんの句で私の好きな句はこれです。

 

   線香の折るる音あり木下やみ   蝶夢

 

皆々さんひとところの墓地に眠ってはる。

信長はんは、後ちょっとで天下統一出来たのに口惜しかったやろうなあ。
どうぞ成仏しとうくりやす。そして日本を世界をお守り下さい、と拝んでお寺を後にいたしました。

 

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この阿弥陀寺からすぐのところに大黒屋鎌餅本舗があります。

昔鞍馬口にあった鎌餅を売るお店がなくなり、それを惜しんだ大黒屋という宮大工さんが御大典(大正4年)を

記念して、麦代餅をもとに考案しやはったときいてます。

 

包み紙は富岡鉄斎門下の本田蔭軒が書かはった。
この方はしばらく阿弥陀寺にいやはったそうな。

 

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麦代餅は中村軒の代表銘菓やけど、昔は京都のあちこちの饅頭屋で田植えの頃は麦代餅が売られていました。

 

田植えの時の間食(けんずい)で、昔は一回分が麦代餅2個、2個分が麦五合で物々交換されていました。

麦と交換したさかい、麦代餅といいます。

 

鎌餅も麦代餅も農村の多忙時期にお得意先のお手伝いという意味もあって出来たお餅にちがいありません。

「田植えも機械になったけど、昔食べたんがなつかしいなあ」と田植えの頃になると来てくださるお客様も多い。

 

滋賀県の中でも特に美味しい小佐治米を搗いておくどさんで炊いた粒あんをはさむ。

国産のこうばしいきな粉をふりかけた麦代餅。

 

いつまでも喜んでいただける名物です。
ぜひぜひ中村軒にお立ち寄り下さいませ。お待ち申し上げております。

 

ほなこの月もめでたし、めでたし。


第205回 亥の日

夏の終わりから膝が痛い。

 

「親に口答えすると足が痛うなりまっせ。膝を交える、膝を屈める、膝をすすめるとゆうて、

 謙虚な人は膝痛にならへん」とおばあちゃんは小言をいう。

 

「朝から晩まで重い物持って働いてるさかいになぁ」と優しい事を言うてくれる人は私のまわりにあらへんのかいな。

 

隣の奥さんが「御所の横の護王神社にお行きやす、あそこは足腰の守護神でっせ。京都マラソンが近づくと

毎年ご利益があるとランナーで賑おうてますえ」

 

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この神社の神さんは和気清麻呂はんと和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)はんです。

 

清麻呂はんが都から九州の宇佐八幡へ行かはったとき、どこからともなく現れた三百頭もの猪が

宇佐までの道中を無事に案内しました。
そのとき不思議にも清麻呂はんが悩んではった足痛が治った故事により、足腰の健康保持・けが・病気の回復に

ご利益があると信仰されています。

 

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私も実はイノシシ年やさかいご縁があるかもしれん。
いこいこ、と出かけました。

 

神社には座立亥串(くらたていぐし)という信仰があって、本殿の両側にあるおがたまの木にイノシシが座ってはる。

 

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社務所で座立亥串をわけてもろて(二本一組です)一本は座立猪の前に刺し、

一本は家の神棚におまつりしてお願いをするのです。

 

この亥串のイノシシはほんまに可愛らしいのです。
しかも昔の10円紙幣のコピーも付いています。

 

この10円紙幣の図案は和気清麻呂と護王神社で裏は猪が書かれています。
昔、オジイちゃんがイノシシイノシシゆうてこのお金を大事にしてはった。
古い紙幣としては人気があって高い値段で売れるらしい。

 

 

それはさておいて神社では11月1日に亥子祭(いのこさい)が行われます。

亥子祭は平安時代宮中で亥の月亥の日亥の刻に亥の子餅を搗いて無病息災と子孫繁栄を祈ったことから行われます。

拝殿で神主さんが亥の子餅を搗いて京都御所へ献上しやはって、参詣者にもふるまわれます。

 

母の田舎では11月に亥の子の神さんが田から家に帰ってきやはると言われて、神さんをお迎えするために

お餅を搗きます。

猪は多産やさかい亥の子がふえるように作物もたくさん実るように念じながら搗くのです。

 

中村軒でも11月から亥の子餅を販売します。
求肥をきびがらで色付してゴマやクルミを混ぜ、中はこしあんです。
懐かしい味やと喜んでもろてます。

 

 

又、猪は火伏の神さんである愛宕山のお使いやさかい、亥の日にストーブや火鉢を出すと火事にならへんと信じられてます。

お茶席でも炉開のお菓子として亥の子餅のご注文をいただきます。

護王神社におまいりしたかいあって、私の膝も随分ようなってきました。
又頑張って働きまひょ。

 

清麻呂はん、どうぞこれからも足が痛うなりまへんように。
愛宕さんどうぞ火事が出まへんように。


特に中村軒ではおくどさんに割木であんを炊いてまっさかい、よろしゅうおたの申します。

神さんのおかげで今年もおいしい亥の子餅が作れます。


ぜひお召し上り下さい。

 

ほなこの月も、めでたしめでたし。


第187回 聚光院

 谷川俊太郎はんの「好きノート」ゆうのんをもろた。
「これはノートであり本でもある。本当のNOTEBOOKです」と始めに書かれてる。

次のページに「一番好きな言葉はなんですか」というタイトルに俊太郎はんは次のように続けたはる。
「数年来好きなコトバは『好き』ですと答えることにしている。
   好きは愛よりも気軽に使えるコトバだし明るく肯定的なコトバだから。一種透明感がある」

一番好きな言葉は私もやっぱり「好き」
今年のおかし歳時記は自分の好きなもんばっかり書いてます。

そもそも「好き」ゆうのんはちょっとしたご縁で好きになる事がある。
例えば私は行ったこともないのに大徳寺の聚光院が好きや。
これは私の好きな作家の山本兼一さんのお父さんが学生時代下宿してはったとこで、兼一さんは子供の頃から
たびたび聚光院を訪れてはった。

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閑隠席を拝見しやはった時、「利休はここで腹を切ったのだ」とお父さんはいつもそうゆうたはったんやて。
今は閑隠席は利休居士150回忌のときに寄進された建築やとわかってるけど、兼一さんが子供の頃には
聚楽第の利休屋敷からの移築やと伝えられていたんやそうな。

こんな御縁から『利休に尋ねよ』『花鳥の夢』等々の名作を書かはったんやなあ。

私は子供の頃、お茶席ゆうのんはなんでこんな狭いところから入っていくのんやろと思てた。
オバアちゃんにきくと「茶道は遊びとちがいまっせ。『茶禅一味』といいますがな」と言わはる。
娘のころはもうひとつようわからんかったけど、最近読んだ兼一さんのエッセイに私の胸にピッタリとおさまる
次のような文章が『利休の風景』という本の中に書かれてた。

 「私は茶室は結界であると考えている。
  すなわち俗塵にまみれた日常の世界とは一線を画した
  和やかで清浄で寂とした幽玄の異界こそが茶の座敷の本質だと思っている。
  寂とした異界を作るにははっきりと現世との隔たりを構築し結界とする必要がある。
  利休居士は茶の席を俗世と隔絶した幽玄の結界として作ろうとした。
  そのためには狭い潜りが大きな演出効果を発揮してくれる」

聚光院は公開してはらへんけど、今年創建450年にあたるさかい平成29年3月26日まで特別公開してはる。
「いこいこ」と出かけました。

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狩野松栄・永徳親子の障壁画はほんまもんが入れたある。
永徳の下絵、利休の作庭といわれる百積の庭園
平成25年秋に書院が落慶して千住博画伯の障壁画「滝」が奉納されました。

群青世界から落ちる真白な滝の絵は心洗われ心踊る、あっとおどろく迫力です。
松栄や永徳が見やはったらどんなふうに言わはるやろと思うだけでも楽しい。

聚光院に憧れるもうひとつは私の尊敬する大好きな老師さまがこのお寺で得度しやはったからです。

そして又又去年の秋には私のお茶の先生がここでお茶会をしやはった。
ご縁とは不思議で次々と糸がつながっていくのんです。

「楽在常」楽しみは常に在り、と老師さまに教わりました。

   たのしみは 朝おきいでて昨日まで
   無かりし花の咲けるみるとき

   たのしみは妻子むつまじくうちつどひ
   頭ならべて物をくふ時
             橘曙賢(あけみ)

楽しんで生きまひょ。
中村軒ではかき氷もはじめてます。
楽しいひと時をぜひ中村軒ですごしとうくりやす。

ほなこの月もめでたし、めでたし。

第186回 狂言とおやつ

狂言の稽古をしてはる中村軒のお得意さんが狂言の先生を店におつれして下さいました。
それ以来先生にもご贔屓になって、ご自分の紹介文に好きな食べ物麦代餅と書いてくれはった。

こんな冥加なことてあるかいな、と嬉しいて嬉しいて狂言までが大好きになってしもた。
この先生はいつも「ニコニコ」してはる。
ちょっと気に入れへんことがあるとふくれっ面をする私とはえらいちがいや。

「生まれながらのお徳をもってはるのや」とまわりの者が言うけんど、
私が思うには大らかな笑いやおかしみを表現する狂言を演じてはると自然に笑顔が身につくのとちゃうか。



先生は狂言に興味のある人が参加できるお稽古の場を開いてはる。畳のお部屋が落ち着きます。
私もちらっとよせてもろた。お腹の底から大声を出すなんて久しぶりです。
みなさん楽しそうにニコニコしてはる。

盛永老師に次のようなお話があります。

「人間には十の心の世界がある。引き出しが十個重なったタンスと考えてみると、
 ある人は三番目の引き出しを頻繁に使う。
 頻繁に使う引き出しは艶がついてすべりやすう、あけやすうなってくる。」

先生は笑顔の段の引き出しを頻繁に使わはるさかいこの笑顔の引き出しがかろやかにあけやすうなって、
この引き出しばっかりあけたはるにちがいおへん。

「あんたはふくれっ面の引出しが開けっ放しになってまっせ」と誰かが言いよる。
「そやさかいその引出しにガムテープを貼って開かんようにしよと努力してますがな」

ふくれんようにおこらんように気ィ使てると「ああしんど」。
このときおやつが出てくると心の奥からニコニコできるのんは不思議ですなぁ。
おやつはニコニコ引出しを開けやすうする鍵にちがいおへん。
狂言のお稽古の折にもちょこっとおやつがでてきます。
そしたらまわりの空気がやわらこうなって笑顔がひろがるのんやて。

もともと狂言は鎮守の森で民衆を対象にした散楽から始まって、平安中期には猿楽とよばれるようになり、
人を笑わす寸劇、言葉あそび等演じてはったんやて。

西国街道がにぎわってた昔、向日神社は向日町の村々の氏神として親しまれると共に境内では相撲や
狂言の興行も行われてました。

この向日神社で平成18年から森で篝火を焚いて開かれる市民手作りの狂言がありました。
能舞台ではのうて森のなかで演じる者と客席とが一体となった狂言会で、
宇治田楽や祇園獅子舞も加わってはった。

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篝火狂言のキャッチフレーズは『酒に酔い森に酔い芸に酔う 酔うて笑うこれぞ狂言』

竹の器にお神酒をそそぐ、かっぽ酒がふるまわれ、手作りのお寿司などの屋台、お煎茶の会等などと
楽しい会でした。茂山千之丞さんが亡くなられて今は途絶えています。

「明神さん」と親しまれている向日神社も平成30年で1300年を迎えはる。

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「これを機に篝火狂言を復興してほしいなぁ。客席と一体になった狂言がすごう楽しかった」
と言うてると、文化芸術会館の和室で三人あわせて200才にならはる三人の狂言師が三笑会ゆう会を開かはる
という知らせが届きました。

これも舞台やのうて畳の部屋で演じる者、見る者一体の狂言です。
4月11日から4月15日まで5夜連続あるんやて。
これは楽しみです。
楽屋見舞いは麦代餅に決めてます。



話は変わるけど中村軒の名物麦代餅も本来は田植え時のおやつで、このあたりでは
間食(けんずい)とゆうて三時になると田んぼまでお届けしてました。
昔の田植えは手植えやさかい重労働です。

「ちょっといっぷくのときの麦代餅がほんまおいしいて嬉しかった」とゆうてくれはる。

中村軒の麦代餅
お腹が満たされるだけではのうて「ほっ」と気持ちがやわらいで笑顔がひろがるのと
同時に「エエ仕事しよ!」という力も満ちてくるにちがいおへん。

みんなニコニコ笑顔の麦代餅です。
4月22日のBS「美の壺」という番組で中村軒のお菓子が紹介されます。
タイトルは「おやつ」です。

狂言もおやつも心をまるうあったこうして元気をもらうのんにちがいおへん。

ほなこの月もあかるう
めでたしめでたし。

第174回 頼山陽の掛軸

今月の掛軸は頼山陽です。

幽蘭伴痩竹ニ物共無心偶爾
分風露誰知此良深
      三十六峰外史



蘭は俗世を離れ幽谷にひっそり咲く花です。
竹も年中青い姿を保ち、風雪に折れることない忍耐力と節操を詠んだ詩やそうな。

漢詩は頼山陽、書画は雲華(うんげ)上人です。

上人は蘭の人と呼ばれたほど蘭がお好きで。蘭の絵がお得意やった。
もともと九州中津の方で山陽はんを中津の山国谷という風景のええとこに案内しやはったとき山陽はんが
「耶馬渓(やばけい)天上無」と詩に詠まはってからその地を耶馬渓と呼ぶようになりました。

「頼山陽はんは日本外史の著者で、この本が幕末の尊王攘夷運動に影響を与えて、明治維新の原動力と
 なったんどっせ」とおバァちゃんは言わはる。

「初代総理大臣の伊藤博文はん、新選組の近藤勇はん、土佐の山内の殿さんもこの本の愛読者やったと
 聞いてます。」

「そらおかしい。敵同士やないの」
「ほんまにええ書物ゆうのんはな、勤王も佐幕もあらへん」
「ほんまかいな」

「山陽はんは晩年京都の三本木に『山紫水明処』と名付けはった書斎を建てはった。このお庭には鴨川の
 伏流水が湧き出す『降り井』があって、お煎茶の好きな山陽はんは来やはった友人に、この水を汲んで
 もてなさはったゆうことです。」
「降り井てきいたことないわ」
「地面から2mほど下に水がある井戸の事で、水のあるとこまで降りて水を汲むさかいその名前があるのどすがな」
「その井戸見てみたい」

ここは山陽はんのご子孫が管理したはるそうで、前もって申し込んだら参観できる。
ということで申し込んで出かけることとなりました。

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書斎の窓から見た風景は今では高い建物が目につくけんど、昔は対岸に柳並木と鴨川の流れ、東山三十六峰を
一堂に眺められたんやろ。

申の刻(午後3時すぎ)には東山と鴨川の光のようすが一番素晴らしいゆうことです。

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降り井は今は水が枯れてるけど、一ツ葉におおわれて何とも風雅です。これを見て山陽はんが耶馬渓へ
行かはった時の話を思い出しました。

   山は水と呼応しなければ生気を帯びて迫ってこない
   石は樹を配さなければ蒼い潤いは出ない

ごもっともごもっとも。この降り井でお煎茶を入れてお友達の青木木米(もくべい)、田能村竹田(たのむら
ちくでん)、蘭の絵を描かはった雲華上人、鳩居堂のご主人などをもてなさはったんやなあ。
お菓子は何やったんやろ。

山陽はんが広島のお母さんに送らはったんは、干菓子・洲浜・虎屋さんの夜の梅やったときいてます。

1013年のひろしま菓子博では頼さんのご先祖の日記を参考にしやはって「そら豆羊羹」を作らはって
人気やったそうな。
 。。
「そらおいしいやろな・・・」

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先ほどの鳩居堂の先祖はんは熊谷次郎直実で自分の息子と同じ程の年の敦盛を討ち取って無常を感じ出家し、
法然上人のお弟子にならはった方です。
時を経て、幕末の鳩居堂さんは薬やお香をお仕事としてはったけど、山陽はんの指導で筆や墨の改良を
しやはった。
山陽はんは望み通りの品ができたことを喜んで「筆研紙墨皆極精良」と書かはって、今もこの扁額が
お店に飾られています。

こうしてみると京都はほんまに歴史の中を歩いてるようや。
山紫水明処から鳩居堂までくる道だけでも明治維新の史跡があちことあるのに驚きます。

   さまざまな事思い出す桜かな   芭蕉



さまざまな事おもいながら、花よりだんごの私です。

ほなこの月も、めでたしめでたし。

第161回 源氏物語と堀川通り

源氏物語の大好きなお連れがいて、光源氏の住んだはったとこはどの辺やろ、もちろん架空の人物やけど、
紫さん(紫式部のこと)は京のどの辺に設定したはったんやと思う?

「二条通には公家の屋敷がうちそろてたらしい。
 堀川はお公家はんのお屋敷を建てる時、木材を流して運ぶのんに作られた運河やそうえ」



堀川や二条あたりを歩いてみたいなあと出かけることになりました。

堀川今出川でバスを降りてすぐが晴明神社で、源氏物語の原文には清明さんは出てきやはらへんけど、
『源氏物語千年の謎』ゆう映画には出てきやはる。



もののけの付いた人をなおすとか、不思議な力をもったはる陰陽師で天文学者でもある。

私おもうのやけど気持ちが落ち込んだり、どうもうまいこといかへんのが続く時は、
神社での御祓がエエのとちゃうかしら。

源氏物語の中では生霊がとりついて離れへんゆうて護摩を焚かはるけど、暗いとこにいるより、
木や草や花がいっぱいある神社で男前のすがすがしい神主さんに御祓してもらうとスッとするとちゃうかしらん。

薬草であるよもぎのジュース飲んでビタミンを補給したり、名物のよもぎだんご食べたりがよろしおす。

神社におまいりして病がなおるゆうのんはもちろん神さんのおかげもあるけど、
この「スッ」とすることちゃうのんかしらん。

晴明神社のむかいあたりが一条戻り橋で、昔死んだ人が生きかえらはった話があって、嫁入りの時は絶対渡らへん。
戦に行く人は必ずこの橋を渡ってから出征しやはったらしい。



ここを過ぎて夷川通へ出ると公園があって、平安時代に陽成院という邸宅があったとこで、紫式部が源氏物語の中で、
光源氏の母桐壷の実家としてはる。
源氏の屋敷とされている二条院はここやということです。

「源氏物語の中では末摘花が好き」と連れは言う。
「あの長い鼻の、おまけに鼻の先が赤い紅花(紅鼻:別名末摘花)のおヒメさんか。私もきっと見飽きん顔やとは思う」

源氏が須磨へ流されはった3年間、蓬のいっぱい茂ったオバケ屋敷みたいな屋敷でひたすら源氏を待ち続けてはる。

九州へいかはるオバサンが
「源氏の君はもう来やはらへんえ。ここ売って私と一緒に九州へ行こ行こ」と言わはるけど
「そやけど又来ます言わはったもん」
「アホやな、男はみな口だけですがな」
「デモ私待ってます」

三年後、須磨から帰ってきやはった源氏は荒れ果てた屋敷の前を通り、
「何や見覚えのある家や、そやあの紅鼻のおひィさんの家や、忘れてた(そやろそやろ)
 あの人は私しか世話する人があらしまへん」

尋ねてもわれこそとはめ道もなく深き蓬のもとの心を

と庭の蓬をかき分け逢いに行かはる。(蓬生の巻)
その後、源氏の二条の屋敷にひきとられ、幸せに過ごさはったとなむ伝へけり。
メデタシ、メデタシ。



紫さんも美人やらノイローゼやらばっかり書いてるとイヤになってきやはったんやわ。

収入もない紅花さんはどないして暮らしてはったんやろ。
広いお屋敷にある蓬を摘んで食べたはったんとちゃうか。
ゆでておひたしにしても、天ぷらにしてもおいしい。ビタミンが多いし、もぐさも蓬から作らはる。
香りで邪を祓うさかいお節句には必ずよもぎだんごをお供えし、おさがりを頂きます。

こうしてビタミンを取っておくと病魔は近づかしまへん。晴明はんも商売あがったりどすがな。

「あっそうや、ちょっと戻らんとあかんけど、椹木町においしいお豆腐やさんがあるねん。今晩は湯どうふにしよう」

家族で昔ながらのお豆腐を作ってはる入山さんは、中村軒と同じように薪で大豆を炊いてはる。
昔、土井勝先生が「本物の味を訪ねて」という本を書かはったとき、饅頭は中村軒の麦代餅、お豆腐は入山さんの豆腐
と書いてくれはってから、私はここのお豆腐の大ファンになった。



ここのお父さんはもう亡くならはったけど、その方がいわはる言葉を今もしっかり覚えてます。

「味は断絶したらもう取り返しがつかしまへん。
 物やったら残りますけど、味ゆうのんは人間だけにしか伝わらへんもんです。
 本でいくら書いても写真で写してもそれは伝わらへん。
 そやから何百軒のうちに、たとえ一軒でもかまへん、昔からのお豆腐を残していこと思てますのんや」

ごもっともごもっとも。

私もこの入山さんの言葉通り、昔ながらのいっぱい蓬のはいったよもぎだんごを一生懸命作りまひょ。
何百軒のうちたとえ一軒でも、薪でおいしい「あん」を炊きまひょ。

お菓子

源氏ファンにはたまらん京都。
おいしいお豆腐、おいしい饅頭。
京都はええとこどすえ。

ほなこの月もめでたし、めでたし。

第149回 古い家

九州の佐伯に塩糀の火付け役とならはった「糀屋本店」へ行ってきました。

私が子供の頃には糀は身近なもんで、学校から帰ってきたらおこたの中に甘酒ができてたし、
お味噌も家で作ってました。

食生活が変わってきて「糀」ゆう言葉さえ知らん子が多い。

「糀屋本店」の320年を越えるという店が廃業しようとまでになった時に家を継ぎ、
体に良い糀の利用方法を世に広め、新しいことに挑戦してはる息子さんに出会い、
はつらつとした若さが眩しかった。

建物も歴史を語ってて、糀室の天井はお殿さんの船を解体した木材を使ってはるという。

「うちの店も創業130年になりますねん。糀屋さんの半分ですけんど、お互いに頑張って
 ほんまにおいしいて体にええもんを作りまひょな」とゆうて元気をもろて帰ってきました。

中村軒の前の通りは昔の山陰街道で、趣きのある家が並んでたけど、どんどん壊され
マンションになったりしてる。

中村軒の建物は
「日露戦争の折(明治37〜38年)、檜の山を買うてエエトコドリにして建てたんや。
 檜が余ったさけなあ、床板まで檜を使て、柱や戸はベンガラで塗ってな、
 黒の大理石みたいにピカピカに磨き込んでるやろ」とはおじいちゃんの自慢です。

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ベンガラはもともとインドのベンガル地方に産した赤色の顔料で、これを防腐防虫効果のある
柿渋で溶いて木に塗り、乾いてから防水効果のある荏油(えごまの油)などを塗ります。

この油は下立売の山中油店へ買いに行きます。
こちらさんは文政年間(1818〜1830)創業の油屋はんで、菜種油が明かりとして使われてた
江戸時代には今の電力会社のようなもんやった。

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「山中さんの土地だけを歩いて京都を縦断できたんえ。油は専売特許で販売権を持つ油商人だけが
 油を商うことが出来た時代やさけなあ」とオバアちゃんは言わはる。

わが家では、お仏壇にお燈明をあげてるのんで、これも山中さんの菜種油を買うてくる。
灯りがきれいで仏さんも喜んでくれはるやろ。

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山中さんのお店がある下立売通から千本出水あたり一帯は平安宮の内裏(だいり)があったとこです。

案内板が立ったんでようわかる。
ここに日本一の宮殿があったと思うと、どこを歩いても感慨深い。

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このあたりの地名の
上立売(かみだちうり)  中立売(なかだちうり)  下立売(しもだちゅうり)という名の由来は
「いにしえ太閤秀吉公の御時に上・中・下の立売はみな呉服たなにて
 大名小名 小袖 かたびら 此町にして買いもとめらる
 きぬまき物を裁ち縫て売りければ 立うりといひけると也」
と江戸時代の本『京雀』に書かれているそうな。

時代の移り変わりで家庭で糀からお味噌を作ることもなくなり、灯としての油の使用も特別な
ことにだけとなり、着物を着ることもまれになりました。

まんじゅう屋の仕事をみても、婚礼のお嫁さんのおまん、1日15日に神仏にお供えする赤飯も
昔にくらべると減っていきます。

それでも良いもん良い仕事は伝えていかんとあかん。

昔のことわざに「十文が油をとぼして 五文の夜なべをせよ」
(勘定では損をするようにみえる仕事でも、精を出せば身のためになる)
ゆうのんがある。

若い人はそんなことしてたらやっていけまへん、と言われるけんど、気持ちの持ち方の事ですがな。

糀屋さんも油屋さんも、努力を惜しまんと人の役に立つことに精を出してはる。
130年の中村軒も見習わなあかん。
1日1日おいしいもんつくりまひょ、と古い町を歩きながら肝に銘じました。

ほなこの月も、めでたしめでたし。


第135回 あずき粥

 

あけましておめでとうございます。今年は辰年です。

  龍 翔 万 年 寿 (りゅうしょうまんねんのじゅ)
「四瑞のひとつである龍が高くとんで、世の中の平安を願い人々の長寿を祝福するという詩」

新年の書初に書いた詩です。龍がむつかしいけんど、勢いよう書くとかっこエェ。
NHKの大河ドラマの龍馬の字は紫舟さんが書いたはって、龍が翔んでいるような、いきいきした書体が素晴らしかった。

中国では鳳凰(ほうおう)、麒麟(きりん)、亀と共に四瑞(しずい)のひとつに数えられてて、神聖視されてきたさかい、
龍があらわれることはおめでたい事とされてて、お祝の日の掛軸や置物に使われました。

禅の世界では修行者のことを龍子というけんど、それより立派な修行者のことを龍鱗(りゅうりん)というそうな。
ほんで禅宗の天井には龍が描いてあるのやろなあとガッテンしました。

十二支の中でただひとつ想像上の動物やけど、案外身のまわりにも龍があるのんに気ィ付きます。
ラーメン鉢にも龍が描いたあるし、和歌山には龍神温泉ゆうええ温泉もある。

白峯神社

サッカーの神さんの白峯神社の摂社に白峯潜龍社があって、龍神さんをお祭りしてはる。
そばに湧いてるお水をいただくと、家系にまつわる悪縁を断ち、盗難・災難除、病気平癒、家業隆昌ときいて
おまいりさしてもらいました。

白峯潜龍社白峯潜龍社

この地は公家の飛鳥井さんの屋敷跡で、昔からええお水が湧いてるところです。

清少納言は「井は飛鳥井」とゆうてはる。もちろん飛鳥井もこんこんとわいてます。
同じ敷地内にあるけど龍神さんのお水がまったりしてるような気ィがしました。

話はとびますが、中村軒でも昔から井戸を掘ってて、美味しいお水を使うてお菓子作りをしています。

毎日美味しいお水を飲みなれてるのんで、水のおいしさはようわかりまっせ。

白峯潜龍社

「水のええとこは家相もよろしい。ええ水で炊いたもんは何でもおいしおす」
とおばあちゃんはいつも言うてはった。

特におかいさんがおいしい。 家中おかいさんが好きで、寒い折には芋粥や餅粥やと炊きます。

1月15日は小正月で、あずきのおかいさんを炊きます。
あずきにはビタミンB1B2鉄分がたんと含まれてありがたいお豆さんです。
開いたお鏡さんのお餅もおかいさんの中に入れてあつあつをいただきます。
このときあずきをたんとめに炊いといて、おぜんざいを作るのんも楽しみです。

中村軒のあずき粥

これでお正月も終わり。普段の毎日がはじまります。

若い人は「あずき粥を食べたことがない」とゆわはる。
「中村軒でマサコさん自慢のあずき粥を食べる会をしてえな」と言われて私もその気になりました。

呪力のある魔除けのあずきをいただくと、病気をはらい魔をよせつけず必ず健やかな生涯を過ごせること
間違いありまへん。

この年も中村軒をよろしゅうおたのもうします。

めでたし、めでたし


第134回 クリスマス

アグネス教会


年末の忙しい折やのに、憑かれたように山本兼一著の『銀の島』を読んでます。

戦国時代、アンジロウという日本人がマラッカでザビエルに出逢い伝道されて、日本最初のキリシタン信者と
なった物語で、これにポルトガルが石見銀山を占拠しようと計画する話がからんでくる。

17世紀はじめ、日本は世界の銀の3分の1を産出してたらしい。
これを目当てにポルトガル船がやってくるのんです。

フランシスコザビエルが日本に上陸した1549年、その年には記録には残ってへんけど、日本で始めての
クリスマスが行われたんちゃうかと言う人もあります。

記録に残ってる日本最初のクリスマスは、1552年に山口県で宣教師コメス・デ・トルレスが日本人信徒を
招いてクリスマスのお祝をしたとされています。

私にはクリスチャンの友人がいて、この人はいつもにこやかで何をゆうても怒ることがあらへん。

「何でクリスマスにはケーキを食べるねん」と私が聞くと、
「イエス様のお誕生日やさかいお誕生日ケーキを作ってお祝するのんえ。
 クリスマスツリーにするもみの木は常緑樹で枝が十字架みたいに広がってるさかい、聖なる緑の木と言われてるし、
 ひいらぎは高貴な木とされてて、イエスさまのいばらの冠(受難)を表して赤い実はイエスさまの血をあらわす
 というて、クリスマスに飾るようになったと聞いてるえ」

神さまとかイエスさまという呼び方や、讃美歌・教会・牧師さまと、それを信じてる人達も
ハイカラな雰囲気がする。

アグネス教会アグネス教会

「うちとこのおばあちゃんは、神さん、仏さん。ときおりはうちの仏はん、ゆうときもあるけんど
 しんらんさん、ほーねんさん、一休さんとみな『さん』と呼ぶねん。
 なんでキリスト教はイエスさま、なんやろ・・・
 それでもっと私が残念なことは、おしゃかさんの誕生日は4月8日で、この日は甘茶をよばれるのやけど、
 お薬みたいな味がするのんで私好きやないねん。やっぱりケーキがええなあ」

「マサコちゃん教会へいこ」と何度も誘われる。

牧師さまのお話をきいてると世の中にこんな心のきれいな人がいやはるのやろかとうっとりするし、
窓のステンドグラスもパイプオルガンも何もかも私の普段の生活とはかけ離れてる。
賛美歌を歌てるとだんだん心がきれいになっていくような気ィになる。

「世界四大聖人はイエスキリスト、シャカ、孔子、ソクラテスやろ。お誕生日まで世界中に知れ渡って
 お祝するのんはキリストさまとおシャカ」さんだけちゃうか。他の方のお誕生日は私しらんわ。
 キリスト教は布教がお上手なんやわきっと」というと

「キリスト教は奉仕の思想やねん。年末には救世軍が街頭に立って社会鍋を置いて、困ってはる人達のために
 基金をつのってはるねん」

そうゆうたら俳句の季語にも社会鍋がある。

   社会鍋 小銭なかなか 見つからぬ   五十嵐みち

   サイレンが かき消す聖歌 社会鍋   福井潮香

日本人はお正月に神社に詣で、結婚式は教会で挙げ、お葬式は仏式でとゆう人がたんとある。
外国人からみたら「いったいどうなってんのんや」と思わはるらしいけど。

もともと日本は八百万の神さんがいやはって、石にも草にも山にも海にも神さんがいやはるという宗教観念です。

ザビエルが日本へやって来やはったとき「一番罪が重いのは創造主でもないものを神と信じてること」と教えはって、
他の宗派を一切みとめへんかったらしい。

今読んでる山本さんの『銀の島』にはザビエルと日本人との会話がこんな風に書かれている。

「クリスチャンの教えには学ぶところがたくさんあります。われわれに欠けてる思いやりの気持ちが溢れている
 ことは間違いありますまい。しかしあなたはあまりに偏狭だ。われわれの神と仏を悪魔よばわりする」

これから何百年もたった現在ではこんなことはなくなってます。いろんなことが日本風に変わってきて、
なじめるようになってる。教会でいただいたパンフレットには

 礼拝は全ての人に開かれています。お気軽にご参加下さい。
 個人的な悩み事の相談は随時受け付けます。できれば事前に牧師までご連絡下さい。

と書かれている。

アグネス教会アグネス教会

私のオバアちゃんは
「人が心のよりどころにしたはる神さんの前を通るときは、どんな宗教の教会でも頭を下げて通りよし」とゆわはる。

熱心な浄土宗の信者のおばあちゃんもイエスさまのお誕生日にはおめでとうさんとケーキを買うてきやはる。

中村軒もクリスマスが近くなるとクリスマスのお饅頭をつくります。
『ホワイトクリスマス』は山芋の餡で作ったきんとんです。他にもクリスマスらしいお饅頭を考案中です。

結局宗教は心の問題やし、楽しみや喜びはひとつでも多いほうがええのと違うやろか。

アグネス教会

   喜びは祈り 喜びは力 喜びは愛   マザーテレサ

ほなこの年もめでたしめでたし。

来年も中村軒をどうぞよろしくお願いします。


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