第206回 骨董のお膳

子供の頃、仲良しのキミちゃんのお家は古道具屋はんで、

遊びに行くと黒ずんだ掛軸・壺・お膳・お重など、ところ狭う置いたある。

 

ちらほらお客さんがのぞいたはる。

お父さんが古い壺の講釈をしてはるけど、私にはちっともわからへんのに、

お客さんはありがたがって買うていかはる。あんなうす汚い壺のどこがエエのんやろ。

私は掛軸にかかれてる山水画より、明るい色彩の油絵がすきやった。

 

プラスチックの容器が昭和35年頃出はじめて、透明なピンクやうすいブルーのコップがハイカラに見えた。
軽いのも落として割れにくいのもお気に入りやった。


たまに連れてもらうフルーツパーラーでも銀のお盆からプラスチックの白いお盆に変わってて、
清潔そうな明るい感じが憧れやった。

 

三度の食事には1人ずつ箱膳と呼ぶ食事用の卓を使うてたけど、小学校に上がる頃、みんなで輪になって

食べる卓袱台(ちゃぶだい)になってきた。

学校から帰ってくると卓袱台で宿題をした。


高校生になると台所は現代的なシステムキッチンとなり、外国映画に出てくるような大きいテーブルに

椅子の生活が始まる。

 

各自、自分の部屋があり、卓袱台にみなが集まることもなくなってしもた。

 

お茶の稽古に通うようになったこの頃で、逆にだんだん昔からある道具に興味を持つようになってくるのです。

 

特に好きやったんはお膳で、この頃には箱膳もどっかに行ってしもて、お正月だけは1人ずつの塗りの

お膳を出してお雑煮を祝いました。

 

あらたまったことをすると気持ちがしゃんとするもんです。

 

毎日が忙しい生活をしていると、お正月ですらお膳を出さんようになってしもたなぁと思ってた時、

俳句のお仲間から「お蔵を潰したさかいお茶道具はいりませんか?見に来てください」とお声がかかる。

いそいそと伺うことにしました。


大きなお家でお茶室も残ってる。お茶道具もそれぞれ素晴らしいけど、私が目を見張ったのは足付きのお膳で、

五客ずつ桐の箱に入って、それが十客ある。

 

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お正月にお仲間を呼んで昔さながらにお雑煮をいただこうかしら。
おひなさんの頃に子供たちを呼んでみてもええなぁ、と次々と楽しいことが頭をよぎる。

 

このお膳に似合う器が欲しいなと古門前、新門前の骨董屋さんを覗いてみることにしました。

 

この辺は古美術の集まっているところで、ちょっと入りにくいけど丁寧にお願いすると、

どの店も気持ちよう見せてくれる。

ちょっと手が出えへんもんもあるけど、私にでも買えるもんもたんと置いたある。

 

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あのお膳にはこのお皿をと思いながら見る幸せなひとときです。

 

白洲正子さんの『日本のもの日本のかたち』という本にこんな文章がある。

 
「日本の美術品には皆個人が大切にして肌身離さず秘蔵にしたから残ったものです。
 博物館などに預けるようでは駄目です。
 中略
 手に取って使ってみて長い間付き合った上ではじめて納得がいく
 人間的な存在なのである」

 

ごもっともごもっとも。

 

ご縁あって中村軒に来たお膳は長いことおつきあいさせてもらいまひょ。
色々なお菓子をのせるのも楽しみです。

 

今年も中村軒を可愛がっていただきありがとうございました。
来る年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

ほな今年も、めでたしめでたし。


第146回 平家、その後

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私の叔母は中村軒の三笠(どら焼きのこと。中村軒では「月」という名をつけています)を
お歳暮に配ることを決めてはる。

「日もちがしておいしいておおらかさがよろしい。
 袋に書いたある歌も、三笠ゆうたら阿倍仲麻呂はんの
『天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも』とちごて、壬生忠岑はんの
『久方の月の桂も秋はなほ もみぢすればや照りまさるらむ』をとったとこが月の名所の
 桂の地にふさわしいて格調が高い!」とえらいほめてもろてます。

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この歌は大原寂光院に隠棲しやはった建礼門院さんの庵室の障子の色紙形に書かれてると源平盛衰記にでてくるそうな。

平家が滅びた後、大原の寂しい庵で月を見上げて昔を偲ばはったんやろか。
建礼門院さんは東山長楽寺の阿証居房印西(法然上人の高弟)に帰依して出家しやはる。

平家の盛衰のあとをたどって東山界隈を尋ねることにしました。

長楽寺は『時雨をいとうから傘の 濡れてもみじの長楽寺』と頼山陽も詠まはった静寂なところです。
出家の折、わが子安徳天皇の形見の衣を幡に縫ってお布施として奉納しやはったんが展示され、
又建礼門院の御影は源氏の目をはばかって墨を塗り隠してまつられてきたそうな。

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おごれるものは久しからず、と平家物語の冒頭にあるけんど、おごってたんは武士を自分たちの勢力拡大の
道具としか考えてへんかった貴族やったんとちゃうのん。
あの当時の貴族は何をしてはったんかようわからん。地位官職が上がることだけを望んでたみたいに私には思える。

平家一門を軽蔑しながらひそひそ悪口を言うて平家打倒の謀叛をおこしたんは、正統の貴族とちごて
後白河法皇の近臣やった。

謀叛失敗の後、俊寛・康頼・成経は喜界島へ流されるのやけど、一年後に赦文をもった使者が島に上陸し
康頼・成経は許されたが、俊寛のみ島に捨て置かれる。

この悲劇は後世能や歌舞伎の台本に取り入れられてる。

  舟のトモ網にすがりつき哀願すればトモ綱を切られ、胸まで浸かって舟べりをつかむが力つき

と能に出てくる。
昔私は歌舞伎で仁左エ門が俊寛をしやはったんを見た。あわれで母はさめざめと泣きながら見たはったっけ。

赦され都へ戻った成経と康頼の名前はすぐ忘れるけどど、俊寛はみんな知ってます。

利休が薩摩の門人に三個の長次郎の茶碗を送ったところ、二個は送り返され、一つの茶碗が残されたんで
『俊寛』と銘されたと伝わってます。

「お料理にも俊寛煮ゆうのんがあるえ」と叔母が言う。
「筍とイノシシを合わせて炊くのんが俊寛煮で、筍干煮とも書くのんえ。」
「さっさと炊くさかい瞬間煮の間違いちゃうのん?」
でも喜界島には美味しい筍があるそうな。

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京へ戻った成経は平家の親類であることから院に出仕することが出来、康頼は東山雙林寺(そうりんじ)に
籠って宝物集という日本・印度・中国の説話集を書かはった。

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この雙林寺に西行法師、頓阿(歌人)、康頼の供養塔があります。

雙林寺の南の間の渓谷を菊谷を菊渓とゆうて昔は菊の名所やった。

  古の人に契を結びみん 住みつける跡を菊の谷みつ  本居宣長

康頼はんはきっとこの菊になぐさめられはったんにちがいおへん。
今このあたりを歩いてもこの菊を見つけることが出来ひんかった。デモ実はこの菊は中村軒にあるのんです。

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菊渓菊が咲く頃には喜界島へ流された三人の話を思い出します。
喜界島で見た『月』はどんなんやったんやろ、と思いながら黒の抹茶茶碗を『喜界島』と名付けて
月(三笠)で一服頂く。今はええ時代となりました。

大河ドラマの平家で始まった今年も無事終わろうとしています。
一年間中村軒をごひいきにしていただきありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いします。

ほなこの年も、めでたしめでたし。


第139回 今様

新熊野神社

   新熊野(いまくまの) 道の入口 木下闇   森松清

5月5日は新熊野神社のお祭です。
子供神輿が出て、子供の鼓笛隊・稚児行列と子供中心のお祭は珍しい。

新熊野神社新熊野神社

新熊野神社の入口に古さにおいても大きさにおいても市内屈指の名木のクスノキは、東大路通まではみだし
高さ22m、幹周り6.6mもあります。後白河法皇のお手植えやそうな。

後白河さんは熊野信仰に夢中で、京都から熊野まで34回もおまいりしやはった。
その上、ご自分の御所である法住寺殿に鎮守寺の三十三間堂を、鎮守社として紀州熊野権現を
勧請して新熊野神社を建てはった。造営に当たったんが平清盛です。

源頼朝はんは後白河さんのことを「日本国第一の大天狗」と言わはったそうや。
たえず権謀術策の中に生きた王者とのイメージに伝えられてるけど、それは武士の側からの見方で
清盛・義仲と対立し、頼朝の鎌倉幕府とも軋轢を抱えてひとときも心やすまることのない一生やったに
ちがいおへん。

後白河さんが「こっちはこっちで言い分ありまっせ」とゆうたはる。

この世の中、何かのお力にすがって生き抜きたいと熊野さんを信仰しやはったんや。
後白河さんは今様が好きなきさくな人やったんとちゃうやろか。

今様の名手の乙前(おとまえ)とゆう72歳の遊女に今様を習わはったそうな。

いろんな今様を集めたんが『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』で、建物の梁の上にあるチリは普段は見えへん
けんど秘かに集められたとゆう意味らしい。

ひとときでも今様に興じ心を晴らしたかったんやろな。

   君が愛せし 綾蘭笠
   落ちにけり 落ちにけり
   加茂川に 川中に
   それを求むと尋ねとせしほどに
   明けにけり 明けにけり
   さらさらさやけの秋の夜は

綾蘭笠は蘭を編んで作った笠で流鏑馬(やぶさめ)用です。
若々しい武者の姿が浮かんできます。

今様とゆうのんは、今めかしさで目新しく派手な魅力を持つさかい、今様と名付けられました。
和歌の伝統を裏切る面白さに満ちた平安末期の流行歌謡で、かろやかなゆるい歌が多いのです。

新熊野神社 後白河法皇新熊野神社 後白河法皇  

   遊びをせんとや 生まれけん
   たはぶれせんとや 生まれけん
   遊ぶ子供の声きけば
   我が身さへこそゆるかるれ

これは大河ドラマ清盛のテーマ曲の今様で、今様の中でも一番なじみの深いもんです。

今様をひろめたんは傀儡子(人形をあやつる芸人)、琵琶法師、遊女、白拍子やったんやろ。
私が好きなんは、

   我を頼めて来ぬ男 角三つ生ひたる鬼になれ
   さて人にうとまれよ
   霜雪あられふる 水田の鳥となれ
   さて足冷たかれ 池の浮草となりねかし
   と揺り かう揺り ゆられ歩け

 あんなに私が好きやとゆうてたくせに通って来んようになった男は、角の三つ生えた鬼になって
 皆に嫌われてしまえ。霜や雪やあられの降る冷たい水田の鳥となって、その中で足が冷えて
 しまえ!それと池の池草となってあっちゆれこっちゆれしてたらええのやわ!

毒づきながらも愛しさがにじんできてるのが伝わります。
後白河さんが歌わはったらどうやろ。頼めて来ぬ男は清盛であり頼朝と考えるともっとおもしろい。

話は変わって、大河ドラマの清盛の中で忠盛が唐菓子の『歓喜団』を食べてはる場面があった。

平安時代の上等なお菓子は遣唐使が唐から持ちかえったという唐菓子で、小麦粉や米の粉を
生地としていろんな形に作って油で揚げたもんやった。

源氏物語にでてくるのは椿餅で『椿の葉を合せてもちひの粉に甘葛をかけて包みたる物』と
かかれている。甘葛ゆうのは葛の樹液を煮詰めた古代の甘味料で、枕草子には『削氷に
あまづら入れてあたらしき金椀(かなまり)に入れたる』と書かれてて、かき氷にもかけてはった。

これらは貴族の口にしかはいらへん高価なもんでした。
今でも果物を「水菓子」というように平安時代菓子とは果物や木の実をさしました。

今はけっこうですなあ。砂糖の普及によってお菓子が充実してます。
中村軒のいちご氷

中村軒では4月末よりかき氷をはじめて、特に5月はいちご氷がとびっきりおいしいて人気がある。
とれたてのイチゴをミキサーにかけはちみつ入りの自家製蜜と合せて、氷にかけてます。
ほんまもんのいちご氷です。

「後白河さんも清盛はんも、栄耀栄華を極めはったけんどこんなおいしい氷も食べんと、柏餅もたべんと、なあ」
とオバアちゃんに言うと
「ほんまになあ、お気の毒になあ」
めずらしく相槌を打ってもろた。
このおいしいいちご氷、柏餅、ぜひ食べに来とうくりやす。

ほなこの月も、めでたしめでたし。


第107回 ぼけ封じ(今熊野観音)

今熊野観音

     野分中 月は光を得つつあり     富安風生

野分は野の草を分けて吹き通る風ということから出た言葉で、台風とほぼ同義語と歳時記には載ってるけど、
私の中では「台風とはちゃうちゃう」としてる。

野分を予知するとゆわれてる草が「風知草」で、その草の節をみて、節ひとつやったら大風一回、二つやったら二回と
節の数を風の吹く回数やと昔の人は楽しまはった。

今熊野観音

「節が根元に近いとこにあったら早い時期に風が吹き、先に行くほど冬近うに大風が吹きまっせ」と占わはったらしい。
これは俳句の先輩から教えてもらいました。私の入ってる俳句会は年配の方が多うて、物知りの方の集まりどす。

徒然草の168段に

 年老いても ひとつすぐれた技量を持ち 「この人が死んでしまったら誰に教わればよいのか」と言われる人は
 老人組の花であり・・・

と出てくるけんど、とびっきりすぐれた才がのうてもその人のそばにいると心安らぐ人がええなと思う。
美人でもなく、才能があるわけどもないけど、言葉がやわらかでまわりに何気ない気ィのつかえるように
年を重ねた人は、老人組の花にちがいおへん。

この俳句会はみなさんあんまりむつかしい事は言わはらへん。
私はわりに若いときに入ったんで、
「季語が二つもあるやないの」
「文法がおかしい」
と目くじらをたてて句を評価してましたけんど、俳句ってそんな安けたいもんやない。

そんな枝葉のことやのうて、この時この時を味わう事と思うようになりました。これも齢のせいかもしれまへん。

句会の後のお菓子も楽しみで、もちろん中村軒のおまんじゅうで一服です。

季節のお菓子の名前も昔から伝わっている名はなるほどとうなづけます。
「最中(もなか)」は平安時代の歌人源順(みなもとのしたごう)の歌に

 水の面に照る月浪をかぞふれば 今宵ぞ秋の最中なりける

とあって、中秋の名月にゆかりの名前で昔は名月にみたてて丸い形やったそうな。

俳句を続けてて好ましいことはお仲間を名前で呼び合うことです。
句会では職業や年齢・学歴など、自分の立場を捨て、昔の言い方でゆうたら貴賎を問わず俳句だけの出来ばえを問うのです。
そのため俳号を付けます。

日々生活の中では私は「中村軒さん」「奥さん!」「まんじゅうやのオバちゃん」「亮太くんのおかあさん」
うちのダンナに至っては「おい!」等などやけど
俳句会ではだれもが「マサコさん」です。

私個人をみとめられたようでこれが嬉しい。

「いつまで俳句を続けられるやろか?」と言うと
「ぼけたらあきまへんで今日ビのはやりでっさかいな」
「どうしたらぼけへんのやろ」
「体操がよろしいえ」
「続けられそうにあらへん」
「手先の仕事、例えば洋裁なんかがエエらしい」
「もっとも苦手」
「ほなら神だのみしかあらへんがな。ぼけ封じの観音霊場を辿ったらよろしおす」

というわけで、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場めぐりの第一番今熊野観音にお詣りしてきました。
ここは古うから頭痛封じ智恵授かりの頭の観音さんで、昔、後白河上皇の頭痛を治さはったそうな。

お詣りすると頭痛・ぼけ封じのご祈祷された枕宝布(カバー)を授けてくれはります。
ちょっと町からはいったとこやのに森深うはいったような別天地で気分がよろしい。

今熊野観音今熊野観音

「俳句ももうちょっと上手になります様に」
「おいしいお菓子が作れます様に」
「ぼけませんように」

お願いは果てしなくあります。それでも観音さんはニコニコしてはる。
ありがたいことです。

これで仕事も俳句も続け、なんとかぼける事もないにちがいおへんな。

ほなこの月もめでたしめでたし

今熊野観音


第103回 柏餅 山利さん(豊国廟)

お菓子

柏の木は新芽が出るまで古い葉が落ちひんので昔から葉守(はもり)の神が宿ってると言われてきました。

「かしは木 いとをかし 葉守の神のますらむも いとかしこし
 兵衛の督(かみ)・佐(すけ)・尉(ぞう)などいふもをかし」と枕草子に出てくる。

御所を守る兵衛、衛門の役人を柏木(かしわぎ)とよびます。
源氏物語の柏木の巻の名も主人公が右衛門督の役にあるさかい「柏木」とよばれたんやて。

「カシワ」は堅し葉からきた名とか。又「飯を炊(かし)ぐ(蒸す)とき柏の葉をこしき(米を蒸すのに使う器)に敷いたり、
 又は覆ったりするさかい炊葉(柏葉=かしわば)と呼んだ。」
と本居宣長はんは書いたはる。

私がオバアちゃんに聞いた話では
「昔昔から大きい柏の葉を食器代わりにして神さんにお供えする器にしてたさかい、
 宮中で食事を司る職名を膳司(かしわでのつかさ)とゆうのんでっせ」

以前には中村軒では6月末頃に柏の葉を採りに行き乾燥して次の年の5月の節句に使うときはお湯で煮込んで
柏餅を柏の葉で包んでから蒸してました。
柏の香りがお餅についてすごく香りがよかったけど、お餅に葉がひっついて取れへんので食べるのんに往生しました。
今は塩漬けした柏の葉を使うて包んでます。

柏餅は米の粉を蒸して充分に搗き、中にあんを包みます。
あんはこしあん、粒あん、白みそあんと三種類があって、白味噌は京都五条の山利さんの白味噌を使うてます。
ここの白味噌は天下一品で(赤だしも田舎みそもおいしい)
中村軒では冬の白味噌雑煮、春の田楽の白味噌もここのお店のんを使てます。

山利さん

中村軒ではその日売る生菓子はその日の朝から作るのんで、職人さんも朝ごはんは中村軒で食べます。
私は仕事にとりかかる前、5時頃から皆の朝ごはんを作ります。
山利さんの田舎みそで作ったお味噌汁がおいしいてつい食べ過ぎる朝ごはんです。

先日山利さんのお仕事場へお邪魔してきました。
ご主人が「この糀に私は魅せられてますねん」とゆわはって、ほんまに嬉しそうに誇らしげにお仕事してはる。

山利さん

「おいしいもん作らはる人ってはればれしたお顔でいきいきしたはる」と私も元気をもろて戻ってまいりました。

ご家族だけでお仕事してはるのでたくさん作れへんのんで店での小売は少しで、堺町錦の麩嘉さんか御幸町錦の四寅さん、
祇園石段下の柿善さんでわけていただけます。
12月は大忙しで11月中に申し込まれた分だけ対応しやはるそうです。

大豆はもちろん国産で塩分もひかえめ、無添加無着色です。

山利さん山利さん山利さん山利さん

山利さんはお味噌自慢。私はまんじゅう自慢ですっかり奥様とも仲良しになりました。
一生懸命良いもんを作ろうと心がけてると良いもんを作ったはる人に出逢えるもんです。

柏の葉には葉守の神さん、エエもんを作る職人には応援の神さんがついてくれはるのんかもしれへん。
ありがたいことです。

ではこの月もめでたしめでたし


第83回 菊の節句 (高台寺・菊渓菊)

菊渓菊

9月9日は9という陽の数字がふたつ重なるさかい重陽とゆうて、菊の節句として知られています。

中村軒でも光琳菊という薯蕷まんじゅうを作ります。
「菊の花びらを浮かべたお酒を重陽の日ィによばれたら長生きまちがいなしで、厄払いもできるのんえ」と母は言う。

昔から菊水模様はめでたい柄とされてて、私が結婚するとき婚礼の家具を運ぶトラックの会社の名前は「菊水」やった。
紅白の晒でタンスやらおふとんをくくってはれがましく飾り荷出ししました。
このごろはこんな風景もあんまり見んようになってしもた。

菊にまつわる話もいろいろ伝えられてて、周の帝につかえた童子が帝の枕をまたいだ罪で幽谷へ流されたけど、
菊の葉から滴る水を飲んで800年の長寿を得た、と謡曲の菊慈童にも謡われています。

九月中頃から中村軒でも山芋製の「菊慈童」というお菓子を作って喜んでいただいています。

中村軒の菊慈童

菊水紋は後醍醐天皇のもとへ馳せ参じ奮戦した楠木正成の家紋です。
私の好きな神戸名物の瓦せんべいに菊水の焼印が押してたあって、子供の頃おばあちゃんに、
「拝んでおあがりやす」としつこう言われた。
「なんでやのん」
「最後まで天皇さんの味方して死なはった」
「そんな人なんぼでもいやはる。正成さんかって一旗あげよと思って味方しやはったんや」
「なんちゅうことゆうのんや、あんたはバチあたりや。もうよろし。あんたとはしゃべらへんおせんべもよばれんでよろし!」

年寄りにさかろうたらあかん。
未だに菊水模様を見るたんび思い出します。

京都にはいろんな菊の名所があります。

 嵯峨菊 大覚寺
 貴船菊 貴船神社あたり
 
『京の名花名木』(竹林俊則著 淡交社)によると、菊渓(きくたに)菊ゆう菊があって、東山高台寺の北の渓谷の菊渓に
たんと咲き誇ってたんでこの名前がついたそうです。

菊渓を水源として流れる川を菊渓川という。そもそも下河原という名は菊渓川流域の河原やったことによるらしい。

菊渓菊

  西行頓阿(とんあ)などの事思ひ出られけるに かなたへなる流れを菊の谷といふを聞きて
  古(いにしえ)の人に契りを結びみん 住みける跡を菊の谷みつ
                                                   本居宣長
都名所図会(安永9年刊)に
「下河原ハむかし雲井寺の北より 谷川流れ出て一面の河原なり
 驟雨の時ハ 満水して下流にてハ 宮川と号し 鴨川に流れ入るなり
 何れの世よりか 山崩れて川を埋ミ…(あと略)」と記してある

相棒と私は菊渓川を探しに下河原の高台寺や雙林寺のあたりを歩いてみました。
高台寺の奥の道元禅師の荼毘塚のほとりに水も流れてない溝のようなもんが続いてる。
これが菊渓川やった。

菊渓菊菊渓菊

菊渓菊らしい菊もありまへん。
この菊は別名アブラ菊(油菊)とゆうて花を油漬けにして火傷や切り傷に使うてたと聞いてます。
高台寺の池の水は菊渓川からひいたと案内にあるけど今はどうなってることやら。

この辺りに菊乃井という高名な料理屋さんがあって、菊水の井戸があるとゆう。
菊渓川と水脈が通じてるので菊水とよぶのかしらん。
お店の説明によると、水の溢れ出る様子が菊の花びらの様なのでこの名前が付いたとゆうことです。

菊渓菊

北政所はこの菊水の井戸の水を使うてお茶をたてはったと伝えられています。
そうゆうたらお茶の先生に菊渓焼ゆうのんをきいたことがある。

高台寺の菊渓川の辺りに住んで菊渓焼をはじめはったんは永楽12代和全さんや。
風雅な作品がたんとある。

  黄昏や萩に鼬(いたち)の高台寺  蕪村

下河原、高台寺は萩の名所で菊は忘れられたんかもしれん。
せめて菊の節句にはお茶をたてて中村軒のおいしい光琳菊をおあがりやしとくりやす。

ほなこの月もめでたしめでたし


第82回 陶器市(五条坂)

五条坂

8月7日から10日まで五条坂で陶器まつりがある。
お精霊さんをお迎えに六道さんへおまいりしやはった。
帰りの人々を相手に五条坂の陶器屋さんが夜店をださはったんが始まりと言われています。

上物のはんぱもんとか、みえへんとこにちょこっと絵の具がとんでるとか
「ほんまやったら結構高い値ェがつくところ、うそのような安い値ェで買えるねん」とゆうのんが女は大好きで、
ついつい使うあてのないもんまで買うてしまう。

五条坂五条坂

五条坂とゆうと

  京の五条の橋の上
  大の男の弁慶は
  長い薙刀ふりあげて
  牛若めがけて切りかかる

と歌われた弁慶と牛若丸の伝説の五条大橋があるんやけど、平安京の五条大橋は北の松原通りにかかっていたらしい。
そやさかい京松原の橋の上、ゆうて歌わなあかんとこや・・・

五条坂五条坂

五条坂は陶器商工芸家の家が立ち並びほとんどが陶器に関係する人々が住んではった。
私はこの道を歩くのんが大好きで、六兵衛さんの工房が見えたり、人間国宝の清水卯一さんの住居もある。
ウィンドウにはそれはそれは風雅な作品が並んでいて美術館を見て歩くようです。

五条坂五条坂

ご縁のあるお家もたんとあって五条大路の角では仏師で仏像教室を開いてはる富田君の工房がある。
彼は息子の大学の先輩です。
私も時間ができたら私の「ほとけ様」を彫ってみたい。
手に乗るような小さい小さいお地蔵さんを作るのんが夢で、冨田君に入門しようかしらんと思うことしきり。

五条坂五条坂

毎日お地蔵様に話しかけてみたいなあ・・・
「やりかけてぐんぐんはまってしまう人と、やっぱり性にあわん人がいやはります」
ごもっともごもっとも。

冨田君の工房を過ぎて清水さんの塔を見ながら茶わん坂をのぼっていくと、左に「陶哉」と大きく書いたのれんがみえます。

ここのご主人は私が子供の頃お茶のお稽古をしてたときの友人で、京都らしい風雅なお店です。
品の良い清水焼の並んでいる門を入ると小さな池があって、藻の花が咲いてる。
めだかを飼うたはって、私はいつまでもここに立ってたい気ィがする。

奥の間にあげてもらうと「夏が涼しい感じるようにおばけの掛軸を掛けよかと思てますねん」と言わはるのんで見せてもらう。

阿部清明とおばけが話をしてる大和絵で、おばけの表情がかわいらしい。
私はいっぺんに好きになってしもた。

  幽霊の掛軸ときにゆれてをり 優江

「おばけと幽霊はちゃうのんやで、おばけは妖怪で、幽霊は死者が成仏しんとこの世に姿を現したもんらしい。」
そう聞くとちょっと背中が凉しゅうなってくる。

陶哉を出てしばらく坂を登るともう一軒、子供の頃からのおつれ(お友達)今村陶器店があります。

陶器市でみるのんも楽しみやけど、私はやっぱり清水焼のうすもんが欲しいときはこの二軒で買うことにしてます。
持ちやすい品のエエ器で、軽うて口あたりもよろしい。
普段使いの豆皿や湯呑みから高級品まで所狭しと積んである中からあれこれ探すのも楽しみです。

五条坂

中村軒では8月はくず桜や水羊羹が人気で、これを薄手の清水焼にのせてお皿ごと少し冷やして
お客様にお出しすると
「汗がいっぺんにひいていきますわ」と喜んでもろてます。

葛は「屑」と同じ響きのため、昔の人は「水仙」とゆわはった。
水仙という言葉をたどってみたら、鎌倉時代の留学僧が中国からもってきやはった水繊(すいせん)
というもんやったらしい。
これは葛を練って砂糖を入れ薄う広げて冷やして食べたらしい。

これから葛のことを水繊、水仙ゆうたと聞いたことがあります。
ご縁のある方との出逢いの中でさまざまな事を教えてもろた。

好きな器を使うてると毎日が豊かです。特に毎日使う湯呑みやお茶碗やらは
手に持った具合、口に当たる具合がぴったり合うと「ほっ」と肩の力が抜けてゆくのんです。

大文字の火でおしょらいさんがかの世へかえっていかはると、京の街はにわかに夏が色あせてゆきます。

どうぞ平和な日々が続いていきますように。
地蔵盆にはお地蔵さんに願い事をいたしました。

ほなこの月もめでたしめでたし


第75回 亥の年(京都ゑびす神社 十日ゑびす)

あけましておめでとうございます。
今年は「亥」の年。猪のごとくまっしぐらに美味しいお菓子作りにはげみたいと思っています。

干支のお菓子は猪を形どったもんでニッキ風味の薯蕷製で、中は粒あんを包んでいます。

昔から猪は火伏せの神さんの愛宕さんのおつかいです。
中国語では「家猪」はブタ、「野猪」はイノシシを意味するらしい。

火から守るのが役目ゆうのんで蚊遣(かや)りはブタの形をした陶器を使うのんかもしれんとは私の想像です。

そういえば西遊記の猪八戒も、もともと摩利支天さんの家来で、天界で天の川の水軍を指揮してはったと
子供の頃「紙芝居」で見たことがある。
水軍の力で火事をしずめるのんで、火伏せの神さんのおつかいは猪になったんかもしれん。
これ又私の勝手な想像です。

おついたちは初詣に行き、もう2日から店を開くのんで、年末からの疲れをひきずっててぐっすりと眠るのんで
初夢らしいもんをみたことあらへん。

昔の人は夢を神さんのお示しやと信じたはったんで
「エエ夢を見ると今年一年エエことがあります」ゆううて宝船の絵を枕の下に敷いて寝ます。

宝船はいろんな宝物やら七福神を乗せた船で

  ながきよのとおのねふりのみなめさめ なみのりふねのおとのよきかな

という回文(上から読んでも下から読んでも同じ文)が書いたある。七福神は七柱の福徳の神さんで

 大黒天
 恵比寿
 毘沙門天
 弁財天
 福禄寿
 寿老人
 布袋

中でも恵比寿さんは商売繁盛の神さんやさかい商売人は必ず1月10日をはさんだ5日間のうち
どの日ィかにお詣りをします。

京都ゑびす神社京都ゑびす神社

11日の残り福祭は祇園、宮川町の舞妓さんが福餅をくれはる。

熊手や宝船、打出の小槌をつけた福笹を買うて帰り道の露店で、割っても割ってもおたやんが出てくる棒飴を
買うてもらうのも楽しみやった。

京都ゑびす神社

酒屋はんは表に店をはり出して「酒のかす」を売らはる。伏見の酒倉のある京都では、絞りたてのんが売ったある。

母は必ずこれを買うて帰ってあくる日ィのおかずは「かす汁」と決まってた。
大根人参こんにゃくごぼう、おあげを入れて煮、そこへすり鉢でようすった酒かすを入れて刻んだせりを入れると目にも鮮やかです。

地方によると塩さけやブリの頭を入れはるらしいけんど、京都では油揚げだけです。
「おあげさん」とさんづけて呼んで何かと重宝します。

酒かすは板神酒(イタオミキ)とゆうて焼いてお砂糖をつけて食べてもおいしいし、お湯でといてぐつぐつ煮、
しょうがをチョンとのせると甘酒にもなる。

子供の頃は部屋に暖房がのうて、通り庭の寒い台所であったかいもんはれんたん火鉢だけやった。
学校から帰るとおばあちゃんがイタオミキを焼いてくれはる。
友達とホコホコ食べたんがこのごろほんまに懐かしい。

世の中温暖化でぬくうなって来てるのに人の心は冷とうなってきてる気ィがする。
いやいや、くらい言葉は福を招きまへん。
笑う門には福来たる

えべっさんのように笑顔で過ごしまひょ。
来る人来る人福の神
家業繁栄 商売繁盛 千客万来 五穀豊穣 大願成就

京都ゑびす神社

今年もどうぞよろしゅうおたのもうします。

ほなこの年も めでたし めでたし


第74回 京の大仏さん(方広寺・国家安康の鐘)



私の昔からの願いは「除夜の鐘を撞きたい」とゆうことです。
うちらみたいな餅屋は31日が大忙しでとても出かけられへん。

京都では大晦日に重要文化財の鐘も撞かしてくれはるとこも多いのんです。
事前に整理券をもろたり、鐘撞券が108枚配られるとこやらいろいろです。

日本三大梵鐘のひとつである方広寺さんの鐘は午後11時50分にご住職が撞かはったあと参拝者が
先着順に108まで撞くことができます。

方広寺方広寺

天正10年(1585年)
豊臣秀吉は関白とならはったとき、京都に日本一の大仏を作ろと思いたたはった。

「たびたびの戦で死んだ者の菩提を弔うため大仏を作りまっさかいな、皆さん刀をさしだしなはれ」
農民民衆から武力を取り上げる(刀狩)が目的やったという。

方広寺

黒田正子さん著「京都の不思議」にこの大仏さんの興味深い話が載ってます。
世の中で怖いもんは 地震 雷 火事 親父 とゆうけんど、この親父は徳川家康をのやそうな。

方広寺の大仏さんはたびたび災難にあわはる。

 天正16年着工、慶長大地震で大仏崩壊

 慶長7年秀頼が着工、鋳造中に出火して大仏・大仏殿とも焼ける

 慶長16年徳川家康の勧めで造った大仏完成、
 (金銀82万両を注ぎ込んだがこれは豊臣家の財力消滅を図る策略)
 落慶直前に梵鐘の銘文「国家安康 君臣豊楽」を家康を呪うものといちゃもんをつけられ
 豊臣氏討滅の口実に利用されてしまう。

方広寺

 寛文大地震で大仏倒壊

 寛文7年木造金箔漆大仏再興、寛政10年雷火で炎上。

「仏尊に水懸り鼻より火燃え出誠に入滅の心地にて京中の貴賎老若その他火消しのもの
 感涙をもよほし たた合掌十念を唱へしばかりなり」と大田南畝は書き残してはる。

こうして豊臣家の記念物は完全に消滅してしもた。
天保14年に尾張の信者たちが高さ11mの大仏を再興しはったのに、昭和48年又しても火災で焼失。

 京の京の大仏さんは天火で焼けてなぁ
 三十三間堂が焼け残った
 あリャドンドンドン こリャドンドンドン
 後ろの正面どなた

子供のとき唄うたのはこの大仏さんのことやった。

寛文大地震で倒れた銅製の大仏は3代家光のとき江戸に運ばれて銅貨に作りかえられました。
これを「寛永通宝」といいます。
江戸250年間、明治27年頃まで通用したこの銅貨は日本一の大仏さんの変身どす。

おばあちゃんがいつもゆうたはったけど、
 寛永銭の直径の長さを一文とゆうて物をはかる単位にしてるのえ。
足袋の十文とゆうのんは、寛永通宝を十枚縦に並べた長さとゆうことやそうな。

江戸時代俳句の作法集である「毛吹草」に愛宕粽、御手洗団子、清水坂炙餅(やきもち)、大仏餅、稲荷塗染団子、
東福寺門前地黄煎など、当時の門前の菓子が載っている。

この大仏餅ゆうのんは方広寺の大仏さんの前で売らはった餅で、初代の新左衛門は大仏殿門前の酒屋やった。
ある夜如来のお告げによって餅を作ることとなったという。(大仏のお告げとちゃうのんがおもしろい)
細川忠興?が大仏餅50に紅梅一枝を添えて届けさしたとの記録が梵舜日記に残っています。

二代目庄左衛門宋休さんは里村昌琢内で連歌をし、三代目はんも貞門の俳諧師と知られ五代目は浮世草子作者やった。

1864年刊「都商職倒風聞」に新町四条下るの大仏餅が餅司の中に記されている。
その後昭和17年まで店を構えたが、惜しまれながら廃業したという。

「創業は易く守成は難し」とは昔の人はようゆわはった。
中村軒は今年も無事に過ぎようとしています。

来る年もどうぞ地震雷火事がおこりまへんように。
方広寺の太閤さんにお願いしてまいりましたので、鐘は撞けんでもおいしいお餅が搗けるにちがいおへん。

お正月餅のご用命はぜひ中村軒にてお願い申し上げます。

ほなこの年も めでたし めでたし


第69回 祇園さん(八坂神社)

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・・」と平家物語の冒頭を覚えたんは高校生のころ。

「祇園とはお釈迦さんが教えを説いた場所『祇田林(ぎだりん)』のことで、精舎とは仏道修行者の住まう
舎宅のこと。お釈迦さんに帰依した須達多(しゅだった)という長者がお釈迦さんの為に建てました」
そう習うたけど、それと京都の祇園とはどない関係やろと常から気になってました。
偉い先生に聞いたところによると、祇園社となったんはインドの祇園精舎の守護神の牛頭天王を祭ったことによるらしい。

他にも由来らしい話があって、藤原基経ゆう人は自分の家を寄進して祇御舎を建てはったらしい。
これがインドの須達多はんがお釈迦さんのために祇園精舎を寄進しやはった話に似てる所から祇園舎と命名されたそうです。

牛頭天王はインドの牛の頭に似た牛頭山に住んだはって、その山に生えてる「せんだん」という植物が病気に効くことから
疫病を除く神さんと神じられてきました。
日本ではこの牛頭天王とスサノオノミコトは同じ神さんやと神じられています。

おばあちゃんはスサノオさんはお薬師さん(おやくっさん。薬師如来さんのこと)がお姿をかえたんえ、とゆわはる。
「姿をかえた??ゆうのんは何やのん?」
「20才(はたち)になったらわかる」
いまだにどう理解したらええのかわからんままです。

昔昔のことです。スサノオさんは旅の途中、宿をとろうとしてました。
裕福な巨且将来(こたんしょうらい)は宿を貸さず、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)は粟飯で手厚くもてなしました。
そうすると「われはスサノオなり。今後疫病が流行ると蘇民将来の子孫と記した茅輪を付けておれば難から免れるぞよ」とゆわはる。

八坂神社

その茅輪が変化したもんが祇園祭の「ちまき」です。これはお守りの食べられへんちまきで、一年間玄関にあげておきます。
疫病がやって来て玄関をくぐろうとしたその時
「あ!あかんわ。スサノオさんを助けはった蘇民さんとこのご子孫の家やないの」と退散するらしい。
市内から離れたここ桂の地でも「うちの息子が船鉾で笛吹いてますねん」と粽を届けてくださる。

中村軒では祇園祭に葛で作った粽を売らしてもろてます。
ちょっと冷やして食べるとひんやりとして美味しい。体の中から疫病が逃げていくようでっせ。

中村軒の鉾ちまき

昔、京都盆地はほとんどが湖で、その後急速に陸地化が進んで取り残された湖底が深泥池、神泉苑、巨椋池やとゆうことです。

八坂神社八坂神社

八坂神社の本殿の下にも実は竜宮に通じる大きな池があって、その上にご本殿が建ってるらしい。
この水は本殿脇にも引かれてて「力水」と呼ばれてます。

疫神社疫神社

869年疫病がはやって66本の鉾を立てて神泉苑に集まり行列したんが、祇園祭のはじめとゆわれてます。
山鉾は神功皇后、聖徳太子、役行者、天神さん、観音さんの話あり中国の故事あり旧約聖書の話のタペストリーなどもある。
いろんな神さんが集まって祇園の神さんを守り立てる形となってます。

昔の人は疫病はことごとく怨霊のしわざやと思ったはったんで、御怨をはらうのんは明るい光のもとで歌をうたい鐘太鼓をうちならし、
踊ってわいわいしたエネルギーで悪いもんに出ていってもらわへんとあかんと思たはった。

四条河原で出雲の阿国が歌舞伎をはじめはったんも人々にエネルギーを与える踊りやったにちがいおへん。

祇園祭の大きい変化としては、戦後「女人禁制」が解かれた事やと思います。
これまで約1千年間「女は鉾に登ったらあきまへん」とかたく言われてました。
戦後これをやめはったんは、祇園祭が神事から観光行事へと移りつつあるからやろ。

禁制が解かれたすぐ後に月鉾が横倒しになるという事故があって、
「ほれみとうみやす。女を鉾にあげたさかいに・・・」とあちこちでささやかれたとおばあちゃんがゆうたはった。
これは偶然でっしゃろ、船鉾の神功皇后は女やないのん、と私は思う。

もう一つ夏の疫のがれがあります。
土用の入りのあんころもち。
これを食べると夏を無事に過ごせるといわれています。
中村軒のおいしいあんころはするりと喉を通り力がつきます。

中村軒のあんころ餅

いろんな神さんに守られてこの夏も疫のがれができること間違いおへん。

ほなこの月も、めでたしめでたし。

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