第221回 伏見城

毎週木曜日放映の「英雄たちの選択」を楽しみに見ています。

日本の運命を決める英雄たちがどんな行動をとったかを、ゲストの先生たちと
一緒に歴史学者の磯田道史はんがわかりやすう司会しやはる。

 

最近磯田はん著の『天災から日本史を読みなおす』を読んで、あまりの面白さに晩ごはんを作るのを忘れてしもて、

うちのダンナに「これがオレの天災害や」といわれてしもた。

 

第一章、秀吉と二つの地震が特に興味があった。磯田はんの本によると、1596年、伏見地震で伏見城は全壊。

秀吉は秀頼を抱いて城の外へ逃げはった。

 

真先に駆けつけてきやはったんは細川忠興はん。
この時代細川忠興はんは長岡忠興と名のってました。伏見城下町の大名屋敷の地名に桃山長岡越中町として

のこっているそうです。もし秀吉はんが死んだはったら天下はどないやろ、と駆けつけはったんちゃうか
と私は思た。

 

 

次に加藤清正が到着。清正は秀吉の身を心から心配して、秀吉を助ける準備をして足軽200人を連れて

来やはった。

 

この時代の伏見城は観月の名所として知られる指月の岡(今の指月団地のあたり)にあった。

 

 

このころ大明皇帝の使者を迎えはるというのんで、何百人もの美女をそろえて使者の度肝を抜くつもりやった

そうやけど、その美女が何百人も死んでしまわはったんやて(なむあみだぶつ)

 

文禄大地震記という本には「今度の地震で建物が壊れたんは瓦葺のせい」と書かれてるらしい。

重い瓦がのってる場合、下の建物はよほどの強さが要るもんや。


秀吉は伏見城の再建の折「地震ほどおそろしきものはない」とゆうて耐震化第一に御殿は檜皮葺

こけら葺にしやはったさかい火に弱うて関ヶ原前夜に敵方が放った火で燃え上がり落城してしもた。
いったいどないしたらええのんやろ。

 

消失した伏見城は1602年頃家康が再建、その後1619年に廃城とされて、このとき建物・柱などは

二条城、淀城、福山城に移築された。
その後には桃の木が植えられたさかい、この地は桃山と呼ばれるようになりました。

 

伏見城跡は幕末まで立入禁止となってたけど、後に明治天皇の陵墓とされて現在も立入禁止。

1964年伏見城花畑跡は遊園地(伏見キャッスルランド)となって鉄筋コンクリートでの大天守と
小天守が作られました。

 

 

ジェットコースター、プールなんかもあって、ピーク時には100万人をとなったけど、
レジャーの多様化や少子化なんかで入場者数が減り2003年に閉園しました。

その後、伏見桃山城運動公園として整備されています。


この天守は耐震基準を満たしてないのんで、中にはいる事はできまへん。

今はひっそりとした静かな公園となってます。
栄華を極めた秀吉のお城と思えば寂しおす。

 

 

京都には大正時代オバアちゃんいわく五千坪を超える京都パラダイスという遊園地があったそうな。

場所は京都市立美術館の南側一帯。

第一次世界大戦の不況でたった3年位で閉園。
他には愛宕山遊園地、清滝遊園地、などもあったんやて。

私の知ってるところでは八瀬遊園が昭和39年オープン。
しかしいずれも閉園となり、京都では大きい遊園地はみあたりまへん。

 

伏見城跡には広い公園には桃の木は見当たらへんけど、たんと桃の木を植えて美味しい桃の
産地にしたらどないどす。公園の中におしゃれな喫茶店を作って桃ジュース、桃かき氷、

桃ジェラート、桃ゼリー、そして桃大福、桃饅頭等など販売したらよろしおすな。

 

西王母ゆう女の仙人は三千年に一度花が咲いて実がなるという桃を持ってはったとか。
三千年(みちとせ)ゆう茶店もつくったらどないですやろ。


「誰がお金を出しまんねん」と現実的なことを私の隣でゆう人がいる。


「喪失はつらい、しかし失うつらさの中から未来の光を生み出さねばと思う。
過去から我々が生きるための光を見出したい」と磯田はんはゆうたはる。

 

ごもっともごもっとも。

伏見のことは夢のまた夢。

 

ほなこの月も、ええ夢みさしてもらいました。
めでたし、めでたし。


第210回 大黒寺

大河ドラマの西郷どんを楽しみに見てます。

 

やっぱり男は薩摩隼人やわぁ
信念があって度量が大きいしかも優しい。

 

それにひきかえゆうたらなんやけど、京の男はんはクールでしたたか、こだわりをもつ人が多い。
駆け引き上手でYES・NOをはっきりしいひんし、ナニを言われてもしれっとして
反論せえへんけど腹にいちもつありそうや。

 

ゆうとくけどうちのダンナは生粋の京都人とちゃいまっせ。
だって中京・上京の人から言わしたら桂は京都とちゃうといわれますもん。

 

実際駆け引きは下手やししたたかでもない、とゆうてるとオバアちゃんが

 

「京の男はんでも佐々木はんのぼん(佐々木蔵之介はんのこと)なんかさわやかでよろしおすがな。
 今の市長はんも人なつこうて裏表があるようには思えまへん。
 そやそや、京男ゆうたら近藤正臣はんがよろしおす。
 正臣はんのご先祖さんは近藤正慎(しょうしん)はん、清水寺の寺侍です。
 西郷さんと活動してはる月照はんの行方について拷問をうけたけど、 白状せんと下を噛み切って

 自害しやはったんえ。ほれみとうみ、京都の男はんも気概のある人はたんといはりまっせ。」


と、オバアちゃんはやっぱり京男の味方です。

それはそれとして西郷さんの人気には京男ではかなわへんと私は思うのです。

 

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伏見の薩摩藩邸の近くに大黒寺というお寺があります。
島津家の守り本尊である出世大黒天とおなじ大黒天が祀られてたさかい、薩摩藩の祈祷所と定められて、

通称薩摩寺と呼ばれています。

 

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西郷さんと大久保利通はんが国事を論じたお部屋もあります。
又、この寺の裏に「みのや」という島津家の定宿があったそうな。

 

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参勤交代の折、島津公をもてなすために出さはったところてんの残りを戸外に捨てたところ凍って

寒天の発明となったそうな。

 

そうゆうことから伏見は寒天の発祥の地です。

この発見以来100年ほどは伏見のみで生産されていたらしい!

 

もともと羊羹は小麦粉と小豆あんで作る蒸し羊羹やったけど、寒天の発明で餡を型に流して寒天で

固めた羊羹が作られるようになりました。寒天を少のうして水分を多くしたんが水羊羹です。

 

中村軒では水あめを使わんと、あっさり炊いた栗羊羹・柚子羊羹と、もちろん人気の水羊羹も寒天を

使うて作ってますけど、あんみつもおすすめです。

さいころ型に切った寒天にあっさりした粒あん、白玉だんごをのせて黒蜜でいただくと

何ともいえないおいしさです。

 

 

西郷さんに食べてもらいたかった。

 

花もちらほら散ってきました。
これから京は新緑の季節となります。

 

口あたりの良いわらび餅、よもぎだんごもおいしおす。四月の末にはいちご氷も始めます。

ぜひ中村軒にいっぷくしに来とうくりやす。

京男はおりまへんが京女がおもてなしいたします。

 

ほなこの月もめでたし、めでたし。


第160回 初午

   初午の巫女の杉葉の髪飾り 井雪文子

二月の始めの午の日ィを初午とゆう。

和銅4年(711年)に稲荷の3つの峯に神さんが降りてきやはった日ィで、伏見のお稲荷さんでは盛大なお祭りがある。

お稲荷さんの聖木であるしるしの杉の苗木を持って帰り植えると商売繁盛心願成就といわれてる。

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エライ先生の言わはることには、
初午は春の始め、山の神を里に迎えて田の神さんになってもらうとき、馬を引き連れて迎えに行かはったさかい
お祭りは午の日ィということになったそうな。

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「ほな、おきつねさんは何でお稲荷さんのお使いにならはったんやろ」とオバアちゃんにきくと
「山の神さんが田へ降りてきやはるときに先駆(さきがけ)として狐さんが降りてきて、又秋には山へ帰っていくとゆう
 田の神の信仰からきつねさんが神さんのお使いになったんや」
「ほんまかいな。あんまりようわからん。」

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それはそれとして、お稲荷さんにおまいりするのんは楽しい。
駅からずっとお店が並んですずめの焼いた匂いがあちこちからただよってくる。
おいなりさん(いなりずし)も美味しそうやし、狐のお面の型をしたみそせんべいも大好き。

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江戸時代の俳諧の作法集である毛吹草に、京の名物として

 愛宕 粽
 御手洗団子
 清水坂 炙餅
 大佛餅

そして稲荷の染団子が書かれている。参道でさがしたけんど染団子ゆうのんはあらしまへん。
いつの間にかだんごがきつねの面になったんやわ。
だって狐は化けるゆうもんね。

京都の家庭では初午の日のおかずは畑菜のからしあえを作る。

「お稲荷さんのお使いの姫のきつねさんがからしが好物やさかいになあ」
とオバアちゃんは毎年同じことを言うてからしを練らはる。
「お稲荷さんの姫のきつねさんが、からし大好きといわはったんか?」と言うて又オバアちゃんに叱られてしもた。

食べ物の話はさておいて、まず楼門をくぐる。豊臣秀吉はおかあさんの大病平癒をお稲荷さんに頼まはった。
治ったら一万石寄進すると約束しやはったんやて。
「命の儀は三ヵ年、あかんかったら二年、それもあかんかったら30日でもええさかいお頼み申し上げる」
という手紙が残ってる。そのご寄進でこの楼門が作られたという。
「ほれみとうみ、天下を取らはる人は親を大事にしやはるのんや」
なんで矛先をこっちに向けんのやろ。

お稲荷さんへおまいりしたら昔は伏見人形の布袋さんを買うことに決まってた。
小さいものから大きいものへ買い足して、7年続けて買う。
7年間家に不幸が無いと、お稲荷さんのおかげでありがたいなあと家中機嫌よう過します。



おくどさんの上の荒神棚へお祀りするのやけど、毎日ごはんを炊くときに見上げるとすすで真黒になったはる。
これも又めでたいとオバアちゃんはなんでもかんでもありがたがらはる。

布袋さんは火防布袋とゆわれてて、背中に火という字を書いて祀ると火難防止になるんやて。
ほんで布袋さんはうちわを持ってはるのやろか。

今みたいなシステムキッチンやったら布袋さんの居場所があらしまへん。

お稲荷さんの信仰のさかんなわけは現世利益の霊験あらたかな事によると言われています。
農業、漁業、商業、鍛冶、厄除その外、各家庭の神棚にも祀られてて、これを勧請稲荷というのやて。
秀吉も伏見城には満足稲荷、聚楽第の近くには出世稲荷を勧請してはる。

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とにかく「何でもお願いはききまっせ」というてくれはるありがたい神さんで、
私はやっぱり災害がのうてエエお米がとれ、エエお餅とお菓子が造れますようにとお願いしました。

中村軒のお餅とお菓子はますますおいしゅうなるに違いおへん。
ほなこの月もめでたし、めでたし。

第159回 お餅

あけましておめでとうございます。

今年は午年、馬にちなむ神社におまいりしよと藤森神社にでかけました。

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   下手のせて馬も遊ぶや藤の森   太祇

藤森神社のお祭の5月5日には、駈馬の神事があります。
騎手が逆立しながら駈ける「杉立」など曲乗りが演じられる。

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菖蒲の節句の発祥の地で、菖蒲から転じて「勝負」の神さんとして競馬ファンはもちろん
受験や試合など勝負事の必勝祈願にお詣りする人がたんといやはる。

神さんもあれこれ移りゆく時代と共にお忙しい。
人間の願いは果てしないさかいになあ。



このお祭で注目することはおみこしが神社の旧鎮座地である藤屋(稲荷大社楼門前)まで行くとみこしかつぎの人が
「土地返へしや返しや」と叫ぶと、稲荷の人々は「(神さん)今お留守おるす」と言い返すならわしになっています。

これはもともと藤尾の地が藤森神社の領地であったのが、稲荷の神さんが借りたままで返そうとしなかったから
やと言われてます。

1月2日は飛馬(ひめ)はじめの日ィとされてて、江戸時代にはこの日から乗馬をはじめはったんやて。

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又1月2日の夜にみる夢を初夢としています。
昔の人は夢を神仏のお示しであると信じたはったんで、よい夢をみたいと願わはったんやろ。

めでたい夢として

一富士 二鷹 三茄子

があげられるけど、これは異説があって、

富士は 蘇我兄弟 富士裾野の仇討
鷹は 赤穂浅野家の紋所で赤穂浪士の仇討
茄子は 伊賀上野の荒木又右衛門の仇討を意味した

とも言われています。

茄子がようわからんかったけど又右衛門がこの仇討で名を成したからやということやそうな。

でも、このごろは宝船、富士、春駒の初夢がベストやということになってます。

お正月に欠かせへんのんが、お年玉で、昔はお年玉にはお餅が使われてて、この餅は神さんがくれはったんとして
一年のお力をいただくことやったそうな。



もちろんお鏡さんには神さんが降りてきやはって4日に開いた鏡餅はいろいろ工夫していただく。

私はこんがり焼いたお餅をごはんにのせて塩を少々。香ばしいほうじ茶をかけていただく餅茶漬けが大好きやけど。
「なんば餅」も美味しい。

だしじゃこと昆布でだしをとって、おねぎをたっぷりと入れた中にお餅を入れたおすましのお汁で。
七味をちゃっちゃとふって食べるといくらでも食べられる美味しさでっせ。

辛口のお方にはからすみをちょっとあぶってお餅にのせる。
このごろ発見したことやけんど、たらこを焼いてのせたり、もろみをのせてもいけまっせ。

お餅がある暮らしはほんまに気持ちがあったこうなります。

どうぞこの一年が餅のように丸うおさまり、餅のように清らかでと祈るばかりです。

おいしいお餅の中村軒を今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

ほなこの年のはじめも、めでたしめでたし。


第148回 おふださん

1月には熊野三山へおまいりに行きました。
ここには熊野牛王符という、熊野権現のおつかいといわれてる烏(からす)で書かれた御札をいただける。
中世には厄除だけでのうて、裏面に誓約分を書いて誓約の相手に渡す誓紙として使われてきました。

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牛王印に誓約することは神にかけて誓うことで
「誓約を破ったら神のお使いのカラスが三羽亡くなり、破った本人は血ィを吐いて地獄へ落ちるのんえ。
この誓紙は義経はんが頼朝はんに忠誠を誓うたときやら、赤穂浪士が仇討ちを誓わはった折にも使われてな、
江戸時代になったら遊女と客が取り交す誓紙に熊野牛王が使われるようになったんやて」
とオバァちゃんはオソロシゲに言わはる。

「私はアンタはんだけの女ですえ〜なんてゆうて簡単に誓紙を書いた遊女の唄があるな、
 ほれ『誓紙書くたび三羽ずつ熊野で烏がしんだげな』というあれか?」
「けったいな事知ってんのんやなあ」と笑われてしもた。

昔から「牛王飲ます」というとやましいことのある人は血ィ吐いて死ぬのんが怖いさかい飲む前に自白したそうな。

とにかくオバァちゃんはお札お守り大好きで、
お正月は破魔矢。十日えびすには福笹。立春には立春大吉の札。祇園祭は粽。
7月31日千日詣りの日ィには愛宕山の火迺要慎のお札。
秋は赤山さんでへちまのお加持をうけて、喘息がなおるようにとへちまの御守。
12月12日の12時に12になる子に12月12日と紙に書かして天井に貼ると盗難除け。

「これは12月12日大泥棒の石川五右衛門が釜ゆでの刑になった日ィやさかい。
入ってきた泥棒はんが五右衛門みたいになったらたまりまへんと盗むのんをやめはるさかいになあ」
ほんまかいな、これ。

ということでこの2月にも盗難除のお札をいただけるお寺があります。
醍醐寺では2月23日当日限り渡される五大力尊のお札をもらいに行く方でいっぱいになります。

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盗難除け、災難除けとして京都の旧家ではたいていの家に貼ってはる。
五大力尊ゆうのんは
・不動明王
・大威徳明王
・軍茶利明王
・降三世明王
・金剛夜叉明王
の五大明王のことで、あらゆる災難を追い払うようにそうれはそれは怖いお顔をしてはる。

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この日ィは五大明王の霊験を授かろうということから、五大力餅とゆう巨大な餅を持ちあげる餅上げが名物となってます。

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女性は90kg、男性は150kgの大鏡餅を抱き上げ持ち上げる時間を競うと共に無病息災・身体堅固を祈ります。

あの大きなたくさんのお供えのお餅はあとはどうしやはるのんやろ。

桂の地蔵寺さんの場合は、お正月やお盆にお供えされた鏡餅は、業者に頼まはって「あられ」にしやはって、
地蔵盆の折に信者さんに配らはる。
今度醍醐寺へお詣りしたら聞いてみよ。

おいしいお餅はあられにしてもすごく美味しい。
ちょっと前までは中村軒には「家でおかきにしまっさかい」とゆうて棒餅のご注文をいただいてました。

棒餅をうすう切って干し、お醤油をつけながら焼いて家の好みの味にします。
うちの息子二人はおじいちゃんの焼かはった「おかき」をおやつに大きなったさかい、
今でも「おじいちゃんのおかきは日本一」と言います。

そのうち美味しいおかきを売らしてもらおと計画中です。

いろんなお札、お守のおかげで安心しておいしいお餅お饅頭を作らせてもらえてありがたい事です。
ほな五大力さんのこの月も、めでたし、めでたし。


第141回 日野の里

7月は年中で一番暑い。
暦では7月7日が小暑、22日が大暑で、昔は暑さをしのぐためにいろいろと工夫をして過ごしました。

・電気を暗うする
・早寝早起き
・昼寝をする

扇風機ですら「もったいない」。アイロンをかけるなんてもってのほかで、敷伸(しきのし)ゆうて
選択した浴衣やシーツに水を打ってきれいなタワシで皺をのばし、もう一度干すとピンピンの出来上がり。

「暑いのに電気を使うと余計暑いさかいになあ」とはオバアちゃんの口ぐせで、中庭から風の通り道と
なってる廊下に花ござを敷いてちょっと昼寝するのんが消夏法やった。

現代はなんでこないに忙しいのんやろ。
私が思うには一番の消夏法は「好きなことに夢中になること」やないかしらん。

私がこの頃夢中になってるのんは、もちろんまんじゅう作りに決まってるけど、それはおいといて
二番目には「親鸞は源頼朝の甥」という本に夢中です。

親鸞さんは日野の里、法界寺のあたりで日野家12代目の有範の長男として生まれはった。

おかあさんは源義朝と中原範兼との間に生まれた吉光女やそうな。
そやさかいに源頼朝と吉光女さんは腹違いの兄弟で、親鸞さんは頼朝の甥になります。

「日野へいこいこ」と相棒と出かけることとなりました。

地下鉄の石田で降りる。ここは万葉の昔「石田(いわた)の杜」とよばれる交通の難所で

「万歳(よろずの)にあり通はむと山科の石田の杜(いわたのもり)の皇神に幣(ぬさ)取り向けて
吾は越えゆく相坂山を」とあるように、石田の神に旅の安全を祈ったところです。

石田の杜石田の杜


「京の口、逢坂山から南へ曲がり、山科街道を小野・醍醐と来てやがて日野ノ里。
 日野は平家に由縁(ゆかり)が深い
 中略
 まもなく石田の辻にかかり、左の森の奥に法界寺の桜門をみる」と平家物語に書かれている。

南都を焼いた平重衡(しげひら)は源氏の捕虜となり、奈良へと送られるときに通った折の文章です。
重衡の奥方は日野の姉の家に身を寄せてはったんで、最後の別れをこのあたりで惜しんだことは
平家物語の名文として有名です。

平重衡

法界寺から一言寺へといく公園に、従三位平重衡卿墓と書かれた墓標があります。
この奥方は寂光院の建礼門院に最後まで仕えはった大納言典従局(だいなごんすけのつぼね)です。

時代はもどり平家が全盛の頃、源氏の血を引く親鸞の母は、その頃見る影も無い貧しい日野家に嫁がはったさかい、
平家から無視されて無事に過ごしてこられたけど、源氏の以仁王(もちひとおう)と源三位頼政が平家打倒の兵を
あげたんで、源氏の血を引く親鸞を出家させ、平宗盛に対して日野家は平家に敵対しないと誓約をしたんと
ちゃうかという説もあるそうな。

出家の日を延ばそうかと青蓮院慈円が言わはると

  「明日ありと 思うこころの あだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」

と詠んで出家しやはったんは9才やった。
生まれつき賢いお子やったんやわ。

法界寺

法界寺の阿弥陀さんは藤原時代の佛さんを代表する優しいお顔をしてはる。
光背の天人もすばらしい。
夏もひんやりとした阿弥陀堂で世の流れをしみじみと思って平和な世であります様にとお願いしました。

法界寺の門前を北へ行くと一言寺があります。
石段の中ほどの小路は頼政道と呼ばれてて、先ほどの平家追討の兵を挙げた源三位頼政が挙兵に失敗して
日野から奈良へとのがれるときに通った道と伝えられています。

日野薬師

一言寺は建礼門院に仕えはった阿波内侍が清水の観音さんのお告げで建立しやはったそうな。

秘仏の千手観音さんは33年後との御開帳以外にはお目にかかれへんけど、一心にお祈りすると
願いが叶うと言われています。

一言寺

私はもちろんおいしいおまんじゅうが作れますよう、一心にお祈りいたしました。

軒下の絵馬に
「ただたのめ 仏にうそはなきものぞ 二言といわぬ 一言寺かな」の句があげられています。

平家の、源氏の、つながりがある日野。
夏の暑さもなんのその。どっぷり歴史につかってまいりました。

中村軒に戻っておいしいかき氷を口に入れるともうこれは極楽です。

一番の消夏法は甘いもんを食べて疲れを癒すことかもしれん。
中村軒では夏のお菓子、かき氷をいろいろそろえてお待ちしております。

ほなこの月も、めでたしめでたし。

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第130回 六地蔵めぐり

今はもう使われんようになった言葉を死語とゆうらしい。

死語の代表はオンバヒガサで、漢字で書くと「乳母日傘」。
乳母(うば)に抱かれ日傘をさしかけられたりして大事に育てられること、と広辞苑に出てる。

私が子供の頃、ご近所に私と同じ年の女の子がいやはった。
体が弱いらしいてあんまり外へ出てきやはらへんかったんで、私とは遊んだ事あらへんかった。

「おつれ(友達)がのうて・・・」とその子のお母さんが私の母に言わはる。
おせっかいの母は「かわいそうやないの。遊びに行ったげよし」という。
「私とはタイプがちゃう」
「子供同士やさかいすぐ仲良うなるもんや」
私はしぶしぶその子のお家に出かけるはめになってしもた。

広すぎる家の二階にあがっていくと
「よう来てくれはったなあ。ここへおいでやす」と、おばあちゃんが言わはる。
「はるみちゃん、ええお天気やし一緒に公園へ行こか」と私が言うても返事が無い。
おばあちゃんが「外へ行くのんが好きやおへんねん」と言わはる。
「ドッヂボール持ってきたさかいはるみちゃん一緒に行こ」
「そんなあぶないこと・・・」とおばあちゃん。
「おばあちゃんに言うてへんねん。はるみちゃん声でえへんのん、行こ行こ」
はるみちゃんはおばあちゃんの顔を見上げてばっかり。
私は無視されたみたいで「ほな、私帰る。公園いってくるわ。さいなら」

家に帰って母に
「はるみちゃんは何にも言わはらへん。おばあちゃんがかわりにしゃべらはるばっかり」と言うと、
「あの人ははるみちゃんのおばあちゃんやのうておんばさんやがな」
「おんばさんて何やのん?あんなんにひっついてたらため悪いで!」

おんばさんを見たんはこれきりかと思たのに、私は又出逢うことになった。

子供の頃、母と一緒に出かけるのんは六地蔵めぐりやった。
8月22日23日洛外六か寺のお地蔵さんをめぐってお札をいただきます。
京の出入口にある街道に祀られてて、三年間おまいりすると六道の苦を逃れられるそうな。
昔は6つのお地蔵さんを詣るので、夕方6時頃家を出て、12里の道を歩き、翌日朝6時頃に帰ってきました。

六地蔵の根本道場といわれてる木幡大善寺は京阪電車の駅名も六地蔵で、昔も今も交通の要地です。

六地蔵 大善寺

「このお寺だけ詣らしてもろても六つのお地蔵さんみんなお詣りしたことになるのんえ」と母は言うけど
「そんなこと誰が決めたんや。おかしいやないの」
「あんたみたいに理屈ばっかり言う子供でも嫁にもろてくれはる方があります様にと
 お地蔵さんにお願いしてるのやないの」
「それはお地蔵さんも気の毒やわ。ご本人次第でっせとゆわはりまっせ」

言いながら歩いていると、あの『おんばさん』が歩いてはるのを見つけた。

「ほら!おんばさんがお詣りしたはる」と母に言うと、
「あの方はなあ、昔ご自分のお子を病気で亡くさはったそうや。それからご主人も
 亡くならはって、六地蔵まいりには、六つのお地蔵さんを歩いて詣らはるんやて。
 おんばさんは亡くさはった子供さんのお供養のためと、今お世話してはるはるみちゃんが
 無事に成長しやはるようにとお詣りしたはるのんやと聞いてまっせ。純粋な心のきれいなお方や」

「あんなもんにひっつけといたらあかん」と言うたことを思い出して私の心は情けのうなった。

子供の死亡率が高かった昔は子供を守ってくれはるお地蔵さんに一心に祈りながら育てはったんやろなあ。

六地蔵 大善寺

六地蔵の大善寺には天井に菊と三つ葉葵の紋章のある立派な鐘楼があります。
徳川2代目将軍秀忠と江の間に生まれはった女の子が後水尾天皇さんの中宮とならはった東福門院です。
この方が安産祈願の成就お礼として寄進しやはったそうな。

六地蔵 大善寺

生まれはった女の赤ちゃんは明正(めいしょう)天皇とならはる。
女帝の誕生は奈良時代の称徳天皇以来のことです。
これはお地蔵さんのご利益にちがいありません。

はるみちゃんのお家はお商売に益々成功しやはって、おんばさんも一緒によその大きなお家に移っていかはった。

お別れに逢いに行って
「はるみちゃん又遊ぼな」と私が言うと、おんばさんがすかさず
「よう来ておくれやした。いっつも喜んでますねん」
「私ははるみちゃんに言うてんのんや」と言う言葉をぐっとのみこんで、おんばさんに
「お体お大事に。さいなら」
「まさこちゃんはキサンジナお子やなあ。おかあさんによろしゅう」

家に帰って母に「キサンジナ子てなんえ」ときくと
「気さくで明るいゆうことやろかなあ。あんたはそれだけがとりえやさかい」

これでも私はお地蔵さんで逢うて以来、言いたい事もしんぼうしておんばさんには気ィ使ってたんや。
でもはるみちゃんもひょっとしたら私にもおんばさんにも気ィ使ったはったんかもしれん。

それ以来お地蔵さん詣りに行くたんびおんばさんの事を思い出します。

それから○○年、お地蔵さんのおかげでっしゃろか、お饅頭の美味しい中村軒へ嫁いでまいりました。
中村軒では地蔵盆にお地蔵さんの型をしたおまんじゅう「にこにこ饅頭」を作ります。

中村軒のにこにこ饅頭

もう一回はるみちゃんにもおんばさんにも出逢うて食べてほしいな。
「キサンジなお子や」とゆうてくれはる事やろ。

ほなこの月もめでたしめでたし


第91回 お赤飯(御香宮・ごこうぐう)

御香宮

  京にても京なつかしやほととぎす 芭蕉

京都ではしきたりやら行事がむつかしいと他から来やはった人が言わはる。

こうせなあかんと頭で考えてるさかい、ややこしいと思うだけでだけで、しきたりはもともと人と人とのつながりを
スムーズにするために出来たことやなあとこの頃はしみじみ思う。

お節句やら七夕さんやら幼い頃に親と一緒に祝うた事は未だに忘れられへんエエ思い出となってます。

昔から陽数の重なる
1月1日 3月3日 5月5日 7月7日 9月9日はめでたい節句として祝いました。

五月の節句は端午の節句といいます。
端午ゆうのんは初五の意味で端は初めの意味、午は五と同音やさかい、月の初めの午の日の事です。

昔この日ィは野に出て薬草を摘んだり菖蒲湯に入って邪気を祓う行事がありました。
「菖蒲と尚武が同じ音やさかい男子の節句となったんえ」とオバアちゃんはゆわはる。

「三月三日は女の節句やのに学校は休みとちがう。五月五日は男の節句で休みちゅうのんは
 片手おちやないの」と子供の頃父にゆうと
「男はそんなけ値打ちあるのんや」とあほらしい返事ドス。これどう思はる?

お節句には中村軒でもご先祖さんからの武者人形を飾ります。
一番古いのんは神功皇后と竹内宿禰の人形です。

男の節句やのに皇后さんを飾るのんはなんででっしゃろ?
男の方が値打ちあんのんとちゃうのんかいな。

他には大将さんと呼んでる幡持ちの家来を従えた人形と金太郎、弁慶、虎やら弓矢、家紋の入った幡なんかを飾ります。
今年は孫の初節句で桃太郎の人形もそろえました。

神功皇后さんは伝説がいろいろあって、肥前の松浦川で「勝ち戦やったらただちに魚を」と祈らはったら鮎が釣りあがり、
これは吉兆と海を渡って新羅を制圧しやはった。

このとき妊娠中やったけど、無事帰国して応神天皇さんを生まはったと伝えられています。
これから鮎はめでたい魚とされて、中村軒でも鮎の形のお菓子を作ります。

お産のお手伝いしやはった女性は桂女とよばれて頭に巻いたはった白い布は姉さんかぶりの起源らしい。

御香宮御香宮

神功皇后さんは母子健康、安産の神さんで、明治14年発行のお札の肖像画に使われてました。

祇園祭の占出山は御神体が神功さんで、会所のお宮ではお守や腹帯が授かれます。
「昔から産気づいた時にこのお守を握って出産にのぞんだもんや」とおばあちゃんにしつこう言われてた。

お宮にあげたあったろうそくの残りを持ちかえる慣わしがあって、
「短うなったろうそくはお産が短い時間ですみまっさかいなあ」
私なんかお産のときお守もろうそくも、どこへしもたか忘れてしもて、あたふたと病院にかけつけたっけ。

伏見の御香宮は日本第一安産守護大神として神功皇后を御祭神に祀ったはる。
ご安産のご祈祷をお願いしたら腹帯をさづけてくれはります。

御香宮

妊娠五ヶ月になると腹帯をしますけど、犬はお産が軽いことから戌の日ィに腹帯を巻いて親類やご近所にお赤飯を配ります。

お産が軽うすむようにとお赤飯を軽う入れるのんがしきたりです。

五月五日のお節句にも柏餅・ちまきと共にお赤飯で祝います。
赤い色は邪気を祓うと信じられてて難を転じるという意味から南天の葉を添えます。

お赤飯は昔から餅米をきび殻の煮汁に浸したもんを蒸し上げるのが最上といわれてます。
あの桃太郎のもったはるきびだんごの「きび」ですが、作る農家が減って入手が難しゅうなってます。

中村軒では岡山県内の農家数軒、自然農法での栽培を依頼し、そのきび殻を使うて赤飯を蒸してます。

自然の色ときび殻特有の香りがたくさんのお客様に喜んでいただいてます。

中村軒のお赤飯

京都ではなんぞことがあるとお赤飯です。

月の始めと15日には神さんにお供えします。
お誕生日や節句、入学祝、敬老祝。もちろんお祭にも親類に配ります。
ご近所の書道の先生が皇居の園遊会に招かれはったときもお宅にお赤飯をお届けしました。

家中で喜びをわかちあうお赤飯をよばれると、邪気はふっとんでいくことでっしゃろ。

デハデハ この月もめでたしめでたし


第66回 醍醐(方丈石・醍醐寺)

醍醐寺

  山椒の芽 母に煮物の 季節来る  古賀まり子

山椒は縄文時代の遺跡からも発見されてて、古代から日本では食品やら薬用としても使われていました。
葉も花も実も木も全部利用されています。

木は材質が強いので「すりこ木」として使う。
うちの家でも山椒の木をもろてすりこ木にしてるけど、次の世もまた、次の世も使えそうなほど太うて丈夫。
「まるであんたみたいや」と言われて「よういわんわ。ほっといてんか」

お茶漬けには塩昆布と山椒の実を一緒に炊いたんがおいしい。
七輪に火ィおこして楽しみながらゆっくりと炊きます。
ときおり味見するのんも役得どす。
花山椒はお醤油でからりと炊いてあつあつのご飯にのせると「えらいゴッツォ(ご馳走)はんどすなあ」と母は目を細めはる。
おすましのお汁にはひとひらの木の芽が季節を感じると共に料理の味を引き立たせます。

4月に中村軒では木の芽薯蕷、田楽(薯蕷の台に白味噌あんを付け木の芽をのせて豆腐の田楽にみたてたお菓子)等を作ります。
木の芽の香りがうれしい、品のええお菓子でお茶会などにも喜んでいただいてます。

中村軒の田楽

お花見には花見だんご、春爛漫(桜の花をのせたお菓子)、花大福(りゅうひの皮に桜の花の塩漬け
の細かく刻んだものを
入れた大福)と共に木の芽薯蕷も一緒にお重に入れると「品がよろしおす」と喜んでいただいてます。

4月1日から21日までは醍醐寺の桜会で満開の日曜日には豊公花見行列があります。
慶長3年(1598年)、62才の秀吉は醍醐寺の花見を計画しやはる。
もともと桜のなかった醍醐に700本の桜が取り寄せられて総門から仁王門に至る馬場先から槍山までの両側に植えられました。

醍醐寺

朝鮮出兵の最中で鬱々した気持ちをパッと晴らそやないのと計画しやはったんやろか。
秀吉は商才も長けた人でイベントをやると人もお金も動くと計算づくやったゆう意見もございます。

ある日電話があって
「おかし歳時記をリビング新聞にのせたいのんです。今月は醍醐へ行かはんのですか、私も同行いたします」と話が煮えて
リビング新聞のライターさんとカメラマンさんと私といつもの相棒と4人で出かけることとなりました。

下醍醐から1時間ほど登ると五大力さんの名で知られる五大堂へ着きます。
「登りがしんどうて汗をかくのんで、一枚ずつ着てるもんを脱いで木にかけてなあ、お詣りの帰りには汗がひいてくるさかい
木にかけたもんを一枚ずつ着たもんや。五大力さんは泥棒除けの神さんやさけ絶対に盗られへん」とおじいちゃんはゆわはる。

醍醐寺

私もためしてみようと思ったんやけど、前日足をくじいたんでタクシーで日野の方からぐるりとまわり上醍醐から
降りてくることになりました。ご利益も半分やろか。

日野の法界寺を過ぎ、昔から一回は行ってみたいと思ってた供水峠へ向かう。
途中に鴨長明が庵をむすんでたとゆう方丈石にも立ち寄りたかった。タクシーさんは地元の方で、ここもようご存知やった。
タクシーを降りてしばらく歩かんならん。
うっそうとした暗い谷に方丈石はあって、谷の下の方に小川があり椿が落ちて流れていきました。
この川で長明も口をすすいだり筆を洗うたりしやはったんやろかと感慨深かった。鳥のさえずりもきこえ、ええとこどすえ。

方丈石方丈石方丈石

供水峠(こうずいとうげ)は洪水峠とも香水峠とも言うらしい。昔はあちこちと清水が湧き出ていたんやろ。
水晶谷という名も残っていて、岩をしたたる水の美しいところやったんやろか、とますますうれしいなる。

この道は西国十番の三室戸寺から十一番の上醍醐へ歩く巡礼路やったにちがいない。
信仰の人々のかわきを癒した水やったんやろ。

一心に信仰心で一足一足登ってこられる人達も、私のようにどんなとこか見てこ、という不心得者にでも仏さんは
優しい顔で迎えてくれはります。

醍醐寺

清瀧宮拝殿のそばに醍醐水がある。「醍醐味」の語の起源となった水です。
この山を開かはった聖宝さんは、神さんに清らかな水のわくところを教えてもらわはった。
神さんは「ああ醍醐味なるかな」と水を飲んで消えていかはった。
そんで聖宝さんはこの山(笠取山と昔はゆうた)を醍醐山と改めはったということです。

醍醐寺

仏教で牛乳を精製しているときにできる5つの味  乳味 酪味 生酥 熟生酥 醍醐味
を五味といい醍醐味は最高の美味とされることから仏さんの教えがだんだん深くわかってくるたとえともされるそうです。

この険しい山道で一服。お饅頭を食べると一同「あ〜醍醐味、醍醐味」

お饅頭は疲れをとってくれます。
みなさんも山道にはお饅頭をご持参くださいませ。

ほなこの月もめでたしめでたし


第24回 お稲荷さん

伏見稲荷

「ええお天気どすなあ。おでかけどすか?」
「へえ、お山してきますねん」
これだけで京都人は伏見稲荷の山のお塚にお詣りに行かはんのんとわかる。
「気ィおつけやして、おはようおかえり」

本殿を拝み、千本鳥居をくぐりやまにある何千といわれるお塚をめぐるのんです。
「お塚」と呼ばれる石碑はお稲荷さんを信仰する人々が「私のお稲荷さん」「自分の守護神」として奉納したもんで、
それぞれ「末広大神さん」「白玉大神さん」など、お願いが聞いてもらえそうな名前がついている。

イナリはイネナリで農耕の神さんであったんが、商業の発達と共に商売の神さんとして信者さんが多い。
あのおびただしい鳥居はみんな信者さんからのご寄進どす。

伏見稲荷

「京都のお稲荷さんと天満の天神さんとを結ぶ交通機関にしたら経営がなりたつとゆうて京阪電車の工事が始められたんえ」
とおばあさんから何回もきかされてた。

権力者の氏神さんとちごて庶民的なあかるい雰囲気の神社でJR稲荷駅、京阪電車の駅も駅舎の柱は朱に塗ってある。

右をむいても左をむいても腹が立つことばっかりで「いったいどないせえゆうねん」と思う日が続くと私は「お山してこ」と、
お稲荷さんのお塚をめぐる。

登りが続いてハアハア息をしながら四ツ辻まで登りつめると京都市が目の下に広がる。
あんなちっちゃなとこで泣いたり怒ったりしてんのやなぁ。
ところで私、何を怒ってたんやろ???何か腹を立てて来たのに思い出せへん。
これはお稲荷さんが私の腹の虫を退治してくれはったのにちがいおへん。

伏見稲荷

四ツ辻の茶屋でおうどんを食べながら極楽風に吹かれる。
これがご利益ご利益

ここお稲荷さんの土地は深草と呼ばれ、良い粘土が出て古うから土偶つくりがさかんやったらしい。
この土を使うて作ったんが伏見人形でお稲荷さんへおまいりすると「まんじゅう喰い人形」を買ってもろた。

伏見稲荷

「お父さんかお母さんかどっちが好き?」と聞かれた子供が
一つのおまんじゅうを半分に割って「どっちがおいしいとおもう?」と聞いた話。

優等生のお子やけど、かわいげないやないのん。
「おかあちゃんにきまってる」とゆうとき!

伏見稲荷

お稲荷さんのお使いは狐さんで、狐のしっぽがたわわに実った稲穂を思わす。
お稲荷さんにおいしいお米が実りますように、そのおいしいお米でおいしいおまんじゅうが作れます様、
はよ不況が退散しますように狐さんの顔の形をした絵馬にいっぱいお願いを書いてしもた。

伏見稲荷

お稲荷さんの帰り道は又楽しみで、おいなりさん(きつね寿司)をおみやげに買い、すずめ・うずらの焼鳥を食べるのも楽しみ。
「すずめは稲を食べまっさかいなあ、焼鳥にしてもよろし」と茶店のおばさんはうちわでパタパタあおがはる。

  夕されば野辺の秋風身にしみて うずら鳴くなり深草の里
                                  藤原俊成

  一つとり二つとりては焼いて食い うずら無くなる深草の里
                                  太田南畝

千本鳥居は、祈願をこめる人が鳥居を献ずることによってその願いが通る通ったということから「とりい」とゆわれたらしい。

伏見稲荷

私は鳥居は献ぜられへんけど、いつかお稲荷さんに中村軒のおいしい栗赤飯をお供えしたいと思てます。
赤飯は鳥居と同じ「朱」
朱は生命・生産の力をもってるといわれる希望の色で、秋の実りの栗がいっぱいの中村軒のお赤飯。
お稲荷さんは喜んでくれはることまちがいおへん。

ほな今月も めでたしめでたし。


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